スペードの女王オペラの原作を読んでみた

最近オペラを観ると原作が気になるようになっています。

特に原作がシェークスピアやゲーテの時、そしてプーシキンも。

私は日本語しかわかりませんが字幕を見ていても言葉が美しいとか、言い回しがちょっと独特と思うのがこれらの作家の時で

そんな時は原作はどうなっているんだろうと気になります。

そこで今回はオペラ・スペードの女王の原作を読んでみて、原作を読むとどうなのか、何が違うのか比べてみました。

オペラでちょっと不思議に感じたことが原作を読んで納得したところもありました。

アレヴィとチャイコフスキー二つのオペラがある

スペードの女王の原作プーシキンで、原作は短編小説です。

実はこのスペードの女王という短編小説をオペラにしたのはチャイコフスキーだけではなく、それより以前にアレヴィという作曲家もオペラ化していました。

アレヴィのオペラの台本はスクリープっていう人が作っているんですよね。

当時スクリープと言えばグランドオペラの人気作家。

ヴェルディのシチリア島の夕べの祈りもスクリープの台本です。

でもアレヴィのスペードの女王は喜歌劇だったようで、初演の場所もパリ・オペラ座ではなく軽めのオペラをやるオペラ・コミーク座。1850年のことです。

ただしこちらは失敗だったようで現在アレヴィのスペードの女王というのはほぼ上演されないです。

そしてそれから40年後にチャイコフスキーがスペードの女王を発表し、こちらが今有名になっているわけですね。

というわけで、今回はチャイコフスキーのスペードの女王とプーシキンの原作と比べてみました。

原作とオペラの違い

原作を読んでまず思ったのは、オペラと設定や内容は違っているけど

全体のイメージとしては、オペラもプーシキンの原作通りだと感じたことです。

原作の方ではゲルマンは狂って精神病院に入り、

リザベータ(オペラではリーザ)は良い人と結婚して幸せになります。

ところがオペラの方は二人とも自殺してしまうのでかなり違うといえば違うのですが、

全体としてのイメージとしては「ああ、原作の感じのままなんだな」と思ってしまうのです。

二人とも自殺してしまう内容からわかるようにどちらかというとオペラの方が刺激的なストーリーに変わっているんですよね。

なので、こんなに違うのに同じイメージに思えるのかと考えてみたのですが‥。

プーシキンの短編小説はさすがにおもしろくて、

伯爵夫人がわがまま放題な老女であることや、それに振り回される日々を送っている哀れなリザベータの様子、

そして哀れなリザベータがゲルマンに夢中になってしまう心の変化が手に取るようにわかる文章でさすがプーシキンと思います。

原作ではオペラと違ってゲルマンは死なないし、リザベータも自殺したりしないのですが

ゲルマンがおかしくなっていく様子や幽霊が枕元に立つ様子などはなんとも不気味な原作なのです。

この不気味さがオペラにはよく現れていると思うのです。

ただですね、この原作ストーリーのままオペラにしたら、きっとボヤっとした話になってしまうんだろうなと思うんですよね。

映画なんかもそうですが、たいてい原作がしっかりした小説だったりすると、原作を読んで映画を見ると

うーんなんか物足りないとか、なんか違うなあとか感じることが多いと思うのです。

そもそも長い小説をたった2時間程度の映画にするのは、小説の言葉や人となりなどの機微をそのまま伝えるなんてどうやっても無理だと思うんですよね。

そうならないためには、小説を大げさに増長させるくらいの内容にしないと同じようには思えないのではないかと。

さらにスペードの女王の場合は短編小説なので、普通より小説の内容が少ないことと、

オペラがよりドラマティックな内容になっているので満足度が高いのかなと思ってしまいました。

もちろんそこには台本の良さと音楽の良さもありますよね。

オペラの方はゲルマンとリザベータの恋愛も相思相愛の熱い恋物語になっているんですよね。

ただこの二人の恋愛については、オペラを見ていてちょっと不思議に感じたところではあります。

ゲルマンとリザベータの恋

オペラの中では、ゲルマンが名前もわからない女性に思いを寄せていて、それが実はリーザだったけど

リーザは婚約したばかりというところから始まり、リーザも実はゲルマンが好きだったという叶わぬ恋物語のようになっているのですが、

その割にはゲルマンはリーザの館に忍び込んでまず伯爵夫人を脅しに行くし、

オペラの終盤でも二人で愛の二重唱を歌った後に、いきなり賭博場に行ってしまうので

ゲルマンはリーザが好きなのか?なんなんだろう」というモヤモヤ感がオペラでは拭えなかったんですよね。

原作を見ると哀れなリーザがゲルマンを好きになっていく様子は細かく描写してあるのですが、

一方のゲルマンについては最初から伯爵夫人からカードの謎を聞き出すためにリーザを利用しようとしていて、リーザに思いを寄せている節はほとんどないのです。

あるとすればわずかに

「二人の瞳が合うとゲルマンの青白い頬がさっと赤くなる」というところだけで、それですらリザベータにそう見えたというだけなのです。

それ以外はゲルマンがリザベータに思いを寄せているとは一切書かれてはおらず。

それどころかゲルマンの方は、なんとかカードの秘密を聞き出せないものかと考えながら歩いているうちに

たまたま通りかかった建物が当の伯爵夫人の館だったこと、そこにリザベータがいたことで運命を感じており、

その運命が彼女を利用することなのか、それとも彼女の愛と大金との両方を手に入れることなのかははっきり書いてないのです。

ただ、ゲルマンという男は紙幣の束や山のような金貨の夢を見ることがあってもリザベータへの思いほぼはないと言っていいのです。

オペラを見ていてゲルマンがリザベータを好きなのか、なんなのかよくわからないなあと思ってしまったのは、原作を見てなるほどそうだったのねと納得してしまったわけです。

原作ではゲルマンはリザベータを利用しただけだったんですよね。

ちなみにオペラの台本はチャイコフスキーとその弟で作っています。

原作を読んで思ったことは

今回スペードの女王の原作を読んで思ったのは

オペラと原作は若干ゲルマンの恋愛に違いというか違和感があるけど、魔のカードのくだりはやはり両方おもしろいということ。

特にオペラの第二幕から第三幕にかけては迫力があり引き込まれますが

プーシキンの原作もなかなかの迫力です。

原作は短編小説なので読みやすいし。

原作には伯爵夫人が幽霊になって出てくるシーンにはオペラのような怖さはないのですが、

それよりむしろ、プーシキンの良さが凝縮されたかのようなこの短編小説を味わいたいと思うような作品です。

個人的にはリザベータの心のうつろいと、老婆の描写に感心してしまいます。

ちょっと余談ですが、プーシキンのこの小説の中の

伯爵夫人が小説を読みたがっているシーンで

「おや、ロシアに小説があるの?」というセリフがあります。

当時ロシアに小説らしい小説がなかったという今では嘘のような事実がさらりと書いてあるのも、とても興味深かったですね。

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