写真はチェコブルノのマーヘン劇場です
島国の日本から見るとヨーロッパは大きな陸続きなので、
オペラの歴史もヨーロッパ全体で栄えてきたような気がしてしまうのですが、
いろいろオペラを見てみると、同じヨーロッパでも全く系統が異なるオペラがあることに気付くんですよね。
チェコ出身のヤナーチェクのオペラもその一つです。
イタリアでは19世紀から20世紀にかけてヴェリズモとよばれるオペラが出てきました。
ヴェリズモはそれまでの神話や王侯貴族の華やかな話ではなく、現実をありのままに描写する新しいタイプのオペラでした。
チェコにおいてはヴェリズモオペラと同時期に、国民楽派・民族主義と呼ばれるオペラが生まれてきました。
今回はヤナーチェクをはじめとするチェコのオペラの土台を築いた3人の作曲家についてです。
スメタナのオペラ
スメタナとチェコ
チェコの作曲家でスメタナといえば、交響詩のモルダウが有名です。
プラハを流れるモルダウ川(チェコ語ではヴルタヴァ川)の流れる様子を表したこの曲は私もとても好きな曲です。
スメタナという人はは19世紀を生きた作曲家で、生まれはチェコの中でも西側のボヘミアと呼ばれる地域でした。
ちなみに現在のチェコの首都プラハもボヘミア側にあります。
19世紀のチェコは、ハプスブルグ帝国に陰りが出てきた頃。
オペラの世界では、イタリアやドイツが優位でそれを見習う、という風潮が徐々に無くなってきて
オペラの舞台も宮廷や神話の世界ではなく現実の世界を見つめる風潮になってきていました。
そしてチェコでは国民主義が広がりつつあったんですね。
そんな中でスメタナもチェコの国民音楽を広めることに力を注いだ作曲家と言えます。
ただ、ハプスブルク帝国の傘下にあった当時のチェコの状況下では、
言葉の問題、それからチェコの中で西か東かということは無視できない重要なことだったのです。
スメタナは当初チェコ語が得意ではなく日々の言語はドイツ語を使っていたんですね。
それだけチェコの西側はドイツ圏の色が強い地域だったわけです。
特にハプスブルク帝国の傘下にありプラハという大都市があった西側のボヘミアでは、ドイツ語が多く使われていたのです。
チェコの国民的オペラを作るためには、やはりチェコ語のオペラを作りたいのは当然です。
スメタナにとって言葉の壁はなかなか大変だったでしょう。
とはいえ、スメタナは、売られた花嫁というオペラをチェコ語で作ります。
もっとも、売られた花嫁はドイツ語版もあるのですが。
さて、スメタナはチェコの歴史や民話をとりいれつつも、基本的にはドイツやイタリアを模範としその技法で作曲するというスタンスの人でした。
少し後で出てくるドボルザークやヤナーチェクが、独自の音楽を形成して行ったのと比べると若干スタンスが異なっていたんですね。
とはいえ、スメタナはチェコのオペラハウスの設立に貢献し、チェコにとってはボヘミア音楽の祖と言える人物です。
世界的にはドボルザークの方が有名で、日本においてもドボルザークを知っている人の方が多いと思いますが、
チェコにおいてはスメタナは、それ以上に重要な存在なんですね。
スメタナの名前がつく劇場があることからも(ヤナーチェクの劇場もあります)その存在の大きさが想像つくのではないでしょうか。
チェコ オストラヴァのオペラ劇場
売られた花嫁・スメタナのオペラ
さて、スメタナのオペラの中でもっとも有名な演目は「売られた花嫁」です。
- 初演:1866年
- 場所:プラハ国立劇場の前身の仮劇場にて
もともとはセリフがあるジングシュピール形式で、
オペレッタのような楽しいオペラでしたが
その後セリフの部分をレチタティーヴォに変更し、
またボヘミアらしい舞曲も追加しています。
他愛ない恋愛ドラマですがウィットに飛んだストーリーで、ハッピーエンドな内容は
とても楽しめるオペラだと思います。
内容的には、2年後の「ダリボル」というオペラの方がすぐれているともいわれますが、
残念ながらそちらは見たことはありません。
ダリボルというのは名前で、投獄されているダリボルを救うためにミラダが男装するところはフィデリオに少し似ています。
おそらく日本ではまだ上演されてないのではないでしょうか。
同じくスメタナのオペラで忘れてはならないのは「リブシェ」というオペラです。
リブシェというのはチェコの伝説の女王で、リブシェによりプラハの歴史が始まったとされています。
ドイツ圏ではイタリア圏と異なり伝説や民話・言い伝えなどがオペラの題材になっている傾向があるのですが、チェコでもその傾向があったのでしょう。
リブシェは、チェコの現在の首都プラハ国立劇場のこけら落としの際に上演され、2年後に再建した際もリブシェが上演されています。
2年後にも再び上演されているのは、最初の劇場がわずか2カ月足らずで火事で焼けてしまったからなんですね。
プラハ国立劇場は、前身の仮劇場の状態が長く続き、完成するまでになんと約40年もかかっているので、苦難を重ねた劇場といえます。
国立劇場のこけら落としに二度使われているリブシェというオペラを目にすることがないのは、
内容的にプラハの歴史の話なので、他の国では一般向けではないのではないかもと想像しています。
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ドヴォルザークのオペラ
新世界で有名なドヴォルザークはチェコの西側ボヘミアの中でもプラハの北に生まれています。
ドイツに近いのですが、彼の場合日々の会話はチェコ語だったようです。
プラハの劇場でスメタナが主任指揮者をやっていたときに、ヴィオラを担当していたのがドヴォルザークだったんですね。
ドヴォルザークもスメタナと同様チェコの国民楽派を代表する作曲家の一人ですが、
スメタナと異なるのは、スメタナがチェコの歴史や民話をとりいれつつも、音楽はドイツ、イタリアを規範としていたのに対し、
ドヴォルザークはチェコの昔ながらの音楽形式や、イントネーション、民族舞踊などを取り入れたことです。
より民族主義に近いと言えるでしょう。
ドヴォルザークのオペラで有名なのは「ルサルカ」です。
- 初演:プラハ
- 場所:プラハ国民劇場
このオペラはとてもロマンティックな音楽なのですが、
実はドヴォルザークは若い頃ワーグナーに非常に影響を受けています。
その割にワーグナーとはちょっと異なる雰囲気のオペラであるのは、その後に
ブラームスの影響を多大に受けているからだと思われます。
ワーグナーというより、ロマンティックなその旋律はブラームスを思わせますね。
ルサルカを観に行った時に近くにいた人が「これ何語?」とささやいていましたが、チェコ語のオペラなので聞いたことない言葉だと感じたのだと思います。
ルサルカはスラブに伝わる神話で水の精、ストーリーは人魚姫のような話なのですが、
精というより、水の事故で死んだ女性が幽霊になるというようなものです。
どうりで、このオペラは悲しくも美しい話というのとはちょっと趣が異なり、
ちょっとルサルカは怖さ・不気味さがあるんですよね。
王子が恐怖ですくみあがるのもわかるし、最後は呪われたように死んでいく。
ちょっと王子がかわいそうなオペラです。
なので、人魚姫とはちょっと違いますね。
- 初演:1901年
- 場所:プラハ国民劇場
とはいえ、とにかく美しいメロディのオペラです。
ヤナーチェクのオペラ
チェコのヤナーチェクは3人の中ではもっとも最後に生まれています。
また彼の出身はチェコの中でも東の地域モラヴィアというところです。
ヤナーチェク劇場チェコの中で西のボヘミアと東のモラヴィアというのははっきりと区別して考えられていて
ハプスブルク帝国の支配下においてもプラハがあるボヘミア側がドイツ色が強かったのに対し、
モラヴィア側は昔ながらの風習が残り、
モラヴィアの人たちは西の人たちとは一線を引いていたようです。
自分たちはチェコ人ではなくモラヴィア人だと。
このような民族意識は世界中のいたるところに実は多くあると思います。
そんなモラヴィアで生まれたヤナーチェクは、ほとんどモラヴィアのブルノという都市を離れることもなかったことを見ても、
郷土愛とスラブ民族としての意識が強かったと言っていいでしょう。
先の二人以上に独自の路線を求め、独自の音楽を確立していくことになります。
国民楽派というより、民族主義が強いヤナーチェクのオペラは、かなり独特の音楽です。
モラヴィアの民謡や独特の朗唱がオペラに反映され、
ドイツ、イタリアなどの西欧音楽にとらわれないところは、
真の国民音楽を目指していた作曲家と言えるでしょう。
チェコにとっては、それまでになかった新しいオペラ路線ですね。
また、ヤナーチェクが取り上げる題材は、ヴェリズモオペラ以上にリアルで戦慄するような内容です。
しかしながら、そのオペラは不思議と引き込まれる魅力があるのです。
ヤナーチェクは、自国の話し言葉の独特な抑揚や民謡を効果的に取り入れるため、
途中からオペラの台本も自身で書くようになるんですね。
今ではヤナーチェクがチェコ独自の音楽を作り出した功績は大きく、3人の中ではもっとも多くの作品が現在まで残っています。
ただ、そんなヤナーチェクもプラハからは長らく疎まれ二流扱いされていたようで、
プラハでのオペラの上演が実らなかった時期が長かったんですね。
実際ヤナーチェクのオペラの初演場所はプラハではなくほぼモラヴィアのブルノです。
ヤナーチェクはドヴォルザークと親交があり、彼の音楽を愛していたと言いますが
おそらくイタリア・ドイツ式を規範とするスメタナとは路線が異なっていたでしょう。
さて、ヤナーチェクのオペラでもっとも有名なのは「イエヌーファ」です。
- 初演:1904年
- 場所:ブルーノのヴェヴェージ劇場
だらしない男を好きになってしまい、子供を身ごもるイエヌーファ。
イエヌーファが産んだばかりの赤ん坊を、孫のためにと祖母は氷に埋めて殺してしまいます。
春になり氷が溶けて、赤ん坊が見つかり‥。
どうしようもない性格の人物も出てきて人間の性を見せつけられるオペラです。
それでも最後は救いもあります。
リアリティがありすぎて、あらすじを見ずにオペラを見たときは戦慄しましたが、
引き込まれてあっという間に見てしまうオペラでした。
今でもチェコにおいてはドヴォルザークやヤナーチェクに比べ、スメタナは一段高いところに位置するのだそうですが、
音楽の世界も旧勢力や人間関係など、様々なことが絡んでいそうです。
チェコのブルノにあるヤナーチェク劇場
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