イタリアオペラを中心に見ていた頃は、
オペラはやはり、ベッリーニが良い、ヴェルディが一番、
と思っていました。
ところが、ボリス・ゴドゥノフというオペラに触れて、
全く異質のオペラを見た気がして、
私は驚くと同時に、とても引き込まれるのを感じたのです。
初演と成立
初演
- 作曲:ムソルグスキー
- 初演(全曲):1874年
- 場所:マリインスキー劇場(サンクトペテルブルク)
初演(全曲)とあるのは、それ以前の1872年に、抜粋版での初演が行われているからです。
未完が多いムソルグスキー
ムソルグスキーのオペラの成立についてまず思うのは、
なぜムソルグスキーは、多くのオペラ作品を手がけながら、ほとんど未完になってしまっているのだろうかということです。
ムソルグスキーは、いくつかのオペラを書いているのですが、ほとんどが未完で、完成にこぎつけているのはボリス・ゴドゥノフのみなのです。
他は1幕だけ作って放棄したり、ヴォーカルの楽譜だけで終わっていたり、
または、台本と一部の曲のみで終わっていたりです。
オペラに限らず、ムソルグスキーの音楽活動と曲の成立については、
そんな中途半端な未完の曲が多くあるんですね。
オーケストレーションの難しさ
ムソルグスキーをいろいろ見ていると、
オーケストレーションの難しさと言うことをつい考えてしまいます。
というのも、ムソルグスキーについては、
ムソルグスキー以外の人が、オーケストレーションをしている曲が多いのです。
これはオペラに限りません。
オーケストレーションとは、曲をオーケストラの演奏用に編曲することです。
オーケストラは、非常に多くの楽器を使いますから、
メロディーを損なわずに、どんな楽器をいかに効果的に用いるかという、素人から見ると気が遠くなる様な技術です。
それぞれの楽器は、音色が違うのはもちろんのこと、高い音が出る楽器や、低い音が出る楽器など
それぞれ特徴も違います。
それぞれの楽器の音域を熟知しているだけでも、私から見ると大変だと思うのですが、
それはおそらく基本であって、そこから音楽を組み立てていくわけですから、さぞかし難しいのだろうなと思うわけです。
ボリス・ゴドゥノフについては、現在主に上演されている公演は、
同時代の作曲家リムスキー・コルサコフがオーケストレーションを修正したバージョンであることが多いのです。
ムソルグスキーといえば「展覧会の絵」という曲を思い浮かべる人も多いかと思いますが
この展覧会の絵という曲についても、ムソルグスキーが作曲したのはピアノ曲のみで、
現在しばしば演奏されているのは、作曲家ラヴェルがオーケストレーションしたものなんですね。
また、ムソルグスキーには「禿山の一夜」という有名な曲もあるのですが、
これについても、リムスキー・コルサコフがオーケストレーションしたものの方が有名なのです。
リムスキー・コルサコフは、ムソルグスキーのオーケストレーションのやり方について、
いろいろ言っていたようですが、ムソルグスキーは、本当にオーケストレーションが下手だったのか
そこはよくわかりません。
というのも、禿山の一夜に関して言えば、素人意見ですが私は、
ムソルグスキー自身が作った原典版の方が力強い感じがしてしまうんですよね。
私にとっては、オーケストレーションという言葉、について考えるきっかけになったのがムソルグスキーだった、と言っても良いかもしれません。
ボリス・ゴトゥノフの改訂版の多さ
ボリス・ゴドゥノフについては、もう一つ、改訂版が多いという特徴があります。
ボリス・ゴドゥノフが最初に完成したのは、1869年なのですが、
その後、劇場から上演を断られたため、
→まず、ムソルグスキー自身が改訂版を出しています。
上記の初演(全曲)とあるのは、この改訂版なんですね。そして、その後
→リムスキー・コルサコフがオーケストレーションの手直しをし、一回目の改訂版を作ります。
→さらに、リムスキー・コルサコフが二回目の改訂版も作ります。
→さらに、リムスキー・コルサコフの弟子イッポリート・イワーノフが4幕を追記する改訂版を創作。
→そしてさらに、後に作曲家ショスタコーヴィチも改訂版を創作。
と言う具合に何度も改定版が登場しているのです。
どれだけ手を加えられているんだろうと、思っちゃいますね。
作風と特徴
国民楽派
さて、ボリス・ゴドゥノフを作曲したムソルグスキーと言う人は、ロシアの国民楽派と呼ばれる一人です。
国民楽派のロシア5人組、と呼ばれる一人でもあります。
ロシアの史実に忠実で現実社会を見つめ、題材に取り入れまたロシアらしい民謡も重視するというような、
ロシアらしい音楽と作風を追求した人たちです。
19世紀にはヨーロッパ各地で、現実を見つめ自国らしい文学や音楽を見つめ直す動きがでてきましたが、
ロシアの作風においても同様な動きが出てきていました。
チェコなんかもそうですね。
それが国民楽派と呼ばれる人たちの活動で特徴となっていきます。
ボリス・ゴドゥノフの作風は、華麗さは全くありませんが、地に足がついた、土の匂いがするような
力強いオペラが特徴で、粗野な感じがまたなんとも魅力的なのです。
主役がバス
ボリス・ゴドゥノフの作風の特徴として、主役がバス歌手であることがあります。
バスは脇役にはあっても、主役ということはあまりありません。
イタリアバロックオペラにおいては、主要配役に高い声がやたら多いことと比べると、
そもそもバスが中心という、全く異なる特徴があるのです。
英雄を題材にするオペラは、イタリアバロックオペラで数多く見られるのですが、
同じ英雄でも、イタリアの場合は、
カストラートという、女性の音域を出せる男性歌手が担うことが当たり前でした。
そして、王子役はテノール、王女役はソプラノなど、やたら高音域が主要を占めるのに対し、
ボリス・ゴドゥノフは低い声のバス歌手が目立つんですね。
だから地味といえば地味なわけです。
そもそも、最初に劇場から上演を断られた理由も、主役にソプラノ歌手がいない、女性が少なすぎる、華やかさが無いという理由だったようですが
そのような、地味なオペラに慣れていない当時としては、有り得ない、と感じたのかもしれません。
その後、改訂版からは女性が増えますが、ムソルグスキーにとっては、このオペラには、華やかな女性の存在はどうでも良かったのでしょうし、
あらすじを見ても、現代なら、女性はそれほど必要ないね、とすんなり思えてしまう内容なのです。
上演時間とあらすじ
上演時間
- プロローグ:25分
- 第一幕:約43分
- 第二幕:約43分
- 第三幕:約50分
- 第四幕:約60分
休憩を入れずに3時間40分程度あるので、かなり長大なオペラです。
ただし、先にも書いたように、ボリス・ゴドゥノフというオペラは改訂版がいろいろありますから、
どれを取り上げた公演かによって、上演時間も異なってきますので、あくまで参考程度にしてください。
簡単あらすじ
ボリスが権力のために、王子ディミトリーを暗殺したものの、良心の呵責に苦しみ、最後は死んでしまうというあらすじ。
プロローグでは、ボリスが皇帝となるところからです。
第一幕では、若き僧グリゴリーが、死んだはずのディミトリーに成り代わる野望を抱く。
第二幕では、最高の地位を得て喜ぶとともに、不安を感じているボリス。
一方、偽のディミトリーは、反乱軍を立ち上げる。
第三幕では、グリゴリーがディミトリーになりすまし、反乱軍を立ち上げるところ。
グリゴリーと貴族の娘マリーナとの愛のシーン。
第四幕では、ボリスが、罪の意識でおかしくなり、ついには死んでしまう。というあらすじです。
歴史上の偽ディミトリー
ボリス・ゴドゥノフは、16世紀終わり〜17世紀頃の、歴史上の史実と
プーシキンの戯曲、を元にして作られたオペラです。
ボリス・ゴドゥノフのオペラでは、ボリスは王子ディミトリーを暗殺した、という前提になっていますが、
歴史上では、そういう疑いがあるだけで真実はわかりません。
また、オペラの最後は不穏な時代を予告するような暗い終わり方なのですが、
偽のディミトリーは、実は1回だけではなくその後も現れ、クーデターを起こしているのです。
不安定な時代がしばらく続くので、そんな終わり方にしているのかもしれません。
見どころ
第四幕の「ボリスの死」のシーンは有名。
また第一幕のボリスのモノローグ「私は最高の権力を手に入れた」
第二幕の「ボリスの苦悩」も劇的で見どころ十分。
バス歌手にとって、もっとも見せ場のあるやりがいのあるオペラじゃないかと思います。
バスの声って個人的にも好きなんですよね。なんか安定感があって。
また、イタリアバロックオペラとは異なる、ロシア語の独特のレチタティーヴォも、見どころ聞きどころではないでしょうか。
ボリス・ゴドゥノフを見る場合は、どの改訂版なのかというのを、注意しておくと良いと思います。
最後に、ムソルグスキーというと、私にとっては、
展覧会の絵や、禿山の一夜、よりも
「蚤の歌」というちょっとおもしろい歌が浮かんでしまいます。
小学校で習ったんですよね。
ムソルグスキーは、印象的な曲を作るのがうまいという印象ですね。
また、ボリス帝を扱った曲としては、カリンニコフという作曲家が作った「皇帝ボリス」序曲
という曲もすごくいい曲なので好きです。
機会があれば、ぜひ一度聞いてみてください。
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