現在上演されるオペラってほとんどヘンデルの時代以降のものが多いです。
じゃあヘンデルの前はなかったのか?っていうとそういうわけではないんですが、ほとんど今は上演されないですね。
そもそもオペラって1600年ごろが最初って言われているんですけど、その前の時代は
ルネッサンス期。ルネッサンスって学校で習いましたよね。
古典の復古とか復活とか言われていた時代です。
このルネッサンス期にモノディっていう独唱に伴奏をつける形式が出てきたのですが、それが今のオペラの原点になったと言われているのです。
オペラって重唱もあるけど基本的には一人が歌って、それに伴奏がつきますよね。
じゃあそもそもオペラって何?はっきりした線引きってなんなのか、どこからオペラでどこからオペラじゃないのかをハッキリつけるのは難しいと思います。
なんでもそうですけどいきなり変わるわけじゃないですしね。
初期のオペラと呼ばれているものを見るとこれもオペラかあ、なんだか朗唱っていう感じ‥
と思うし、モノディに対する言葉がポリフォニーでポリフォニーは複数の独立したパートがあるのですが、
じゃあリゴレットの第三幕の4人で全く違うことを歌う場面がありますけど
あれはなんなんだろうとか、ちょっと考えたりするんですよね。
まあ難しい音楽理論的には違うんでしょうけど‥。
とごちゃごちゃ書きましたけど、いずれにしてもジュリオ・チェーザレはヘンデルのオペラの中でも最も有名な作品ではないかと思います。
いったいどんなオペラなのかについて探ってみたいと思います。
ジュリオ・チェーザレってどんなオペラ?
ジュリオ・チェーザレっていうのはイタリア語読みです。
ラテン語読みだとユリウス・カエサル、また英語読みだとジュリアス・シーザー。
私なんかはジュリアス・シーザーで覚えていました。
ヘンデルがこのオペラを初演したのは1724年、39歳の時です。
原作はアントニオ・サルトーリオという人が作曲した「エジプトのジュリオ・チェーザレ」というオペラです。
原作はヘンデルが生まれる前に既にあった作品で、
つまりヘンデルのジュリオ・チェーザレは元になっているオペラがあるっていうことなんです。
今だったらちょっと問題になりそうなやり方ですが、当時は別に問題ではなかったんですね。
ヘンデルっていう人はドイツ生まれなのですが、イタリア式のオペラを勉強して、それをロンドンで開花させた人と言っていいんじゃないかと思います。
ジュリオ・チェーザレはそんなヘンデルがロンドンで発表したオペラの一つなわけです。
でもってその頃ってヘンデルにとってどういう時期かっていうと
1720年に貴族達によるオペラの会社「王室音楽アカデミー」を設立、ヘンデルはその中の重要な一人でした。
当時はやはりオペラは貴族のものだったんですね。
このアカデミーは経営がずさんだったこともあり、8年で倒産してしまいますが
1724年というとまだこの王室音楽アカデミーがあって中心的な存在として活躍していた頃です。
実は歴史的に見るとイギリスってあんまりオペラが盛んじゃない国なんですよね。
オペラ作曲家もあまりいないし。
近代になるとブリテンがでてくるけどそれは20世紀になってからのこと。
唯一ヘンデルがイギリスに住んでいた18世紀前半だけがいっときイタリア式のバロックオペラが栄えたのかなと、そんな印象です。
そのあとは乞食オペラっていうのが出てきて一気に押されちゃうんですけどね。
なぜサルトーリオのオペラを使った?
オペラって神話が元になっていたり、戯曲が元になっていたり、またはワーグナーのように作曲家自身が自ら考えたりといろんなケースがあるのですが、
ジュリオ・チェーザレの場合の原作はちょっと不思議なんですよね。
原作:ジャコモ・フランチェスコ・ブサニ台本、アントーニオ・サルトーリオ作曲オペラ「エジプトのジュリオ・チェーザレ」
とこんな感じです。
ん?なにこれって最初思ったんですよね。
オペラが元になったオペラなの?と。
この時代は著作権云々とかそういうのもない時代ですし、曲の使いまわしなんかもやっていたので
オペラをもとにしてまたオペラを作るっていうことも普通にあったんだろうか、もしかしてそうなんだろうなあと。
元の部分とか旋律などもたぶん残っているんでしょうしね。
それと同時に思ったのは、ヘンデルはなぜこのオペラをもとにしたのかということ。
この原作のサルトーリオっていう作曲家は、実は1670年頃のヴェネチアでは有名な大作曲家だったらしいんですよ。
オペラはフィレンツェで始まってヴェネチアで盛んになってその後ナポリに移行する、という大きな流れがあって、
ナポリ時代はまさに黄金のバロックオペラの時代と言っていいと思います。
1670年頃っていうのはその黄金時代よりも前で、おそらくヴェネチアで一番オペラが盛んだったころだと思うんです。
まさにサルトーリオはその頃の作曲家だったようなのです。
サルトーリオの「エジプトのジュリアス・シーザー」は、1676年にヴェネチアで初演されて当時大成功だったオペラなんですよね。
今は全く知られていませんけど。
で、このサルトーリオっていう人はドイツのハノーファーというところでも活躍していた人なんですよね。
そしてヘンデルも時期はもっと後ですけどハノーファーの宮廷楽長だったことがあるのです。
これって偶然なんだろうか。
ハノーファーにはサルトーリオのオペラの履歴が残っていたのかもしれない。
というよりハノーファーの宮廷で上演されていたんだろうか。
それでこの作品をもとにアレンジしたくなった?
とそんなことを勝手に考えちゃったんですよね。
余談ですがハノーファーといえば日本の指揮者、大植英次さんがハノーファーのオーケストラの首席指揮者になったことで日本でも有名になった場所でしたよね。
ヘンデルは何度か変更を加えつつジュリオ・チェーザレを上演しています。
だからいくつかの版があるはずです。
また原作のジャコモ・フランチェスコ・ブサニっていう人もヴェネチアで活躍した台本作家です。
サルトーリオのオペラもいくつか台本を担当していたようですね。
バロック全盛期の時代のさらに前、つまりヴェネチアの頃のオペラの世界が垣間見れた気がしてなんとなくわくわくしちゃったというか‥
今は、ヴェネチア時代のオペラっていうとモンテヴェルディが浮かぶくらいなんですが、他にもいてそれが受け継がれたのかと思うとなるほどねえと思ったわけです。
ジュリオ・チェーザレ簡単あらすじ
ではジュリオ・チェーザレの簡単あらすじと見どころをざざっと書いておこうと思います。
何と言ってもシーザーのストーリーで、歴史的な話が入るのでおもしろいんですよね。
クレオパトラも出てくるし、ポンペイウス(オペラではポンペオ)も出てくるオペラです。
名前くらいは誰でも知っているんじゃないかと。
歴史上の知っている名前が出てくるってオペラでは嬉しくないですか?
私などはそれだけで嬉しい方です(笑)。
ジュリオ・チェーザレに出てくるクレオパトラは野心満々の女性で弟のエジプト王を退けて自分が王位につきたいと思う女性。
またポンペイウスという人は歴史的にもエジプトに裏切られる形で殺されちゃう戦士ですが、そこはオペラでも同じです。
クレオパトラといえば美貌で有名ですが、このオペラでは夫を殺された妻コルネリウスも美貌でやたらもてちゃう役。
エジプト王やその臣下にやたら言い寄られる人です。
シーザーはポンペイウスが殺された時、敵ながら泣いたとされますが、それはこのオペラでも同様で、
なかなか良い話なわけです。
ポンペイウスって何度か結婚してますがそのうちの一人はシーザーの娘だったりするんですよね。
なんとなく、敵ながら友でもあるというあたりは日本の武士道にもちょっと通じるというか。
そういうストーリーのおもしろさも不変の人気の所以なのかもと思います。
ただし結構場面が変わるので、もう?と思うところも否めないかも。
<簡単あらすじ>
ローマの内戦でポンペオの軍を破ったシーザー。
ポンペオはエジプト王(クレオパトラの弟)のところに逃げますが、裏切られてポンペオは殺されてしまいます。
それを知らずポンペオの妻コルネリアとシーザーが和睦の話をしている時に
殺されたポンペオの首が届いたので、シーザーは怒り、コルネリアは失神してしまいます。
そして息子のセストは仇討ちを誓います。
一方シーザーとクレオパトラは互いに惹かれる仲に。
またコルネリアは夫の敵であるエジプト王とその臣下に言い寄られてしまい(美しいって罪です)
クレオパトラは実は弟の王座を狙っており、復習を誓うコルネリアとセスト親子に助力を申し出るという微妙な関係へ。
そしてクレオパトラの軍と弟の軍は戦いますが結果クレオパトラは負けて捕らえられてしまいます。
それを助けに行くシーザー。
そして相変わらずコルネリアに言いよるエジプト王ですが、息子セストが現れ父の敵とばかりエジプト王を殺します。
シーザーはセストを英雄と讃え、クレオパトラを王として冠を捧げ、皆が歓喜のうちにおわります。
見どころとしては第二幕でクレオパトラが歌う「優しい瞳をたたえて」のアリア。
とても綺麗なアリアなので注目したいところですね。
ちなみにモーツァルトが作ったオペラセリアに皇帝ティートの慈悲というのがあり、そこにもセストという若者が出てきますが、
こちらは同じローマでももう少し時代が新しいので別人ですね。
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