プッチーニのご当地三部作の一つ「西部の娘」。
初演は1910年。
プッチーニが52歳の時です。
その前の作品を見ると、
と約4年おきに続いているのに対し、次の西部の娘までには6年の月日が空いているのがわかります。
その間のプッチーニは災難続きだったからです。
ドーリア・マンフレーディ事件
プッチーニの災難は、蝶々夫人を作曲している時からすでに始まります。
プッチーニは当時珍しかった自動車を購入していますが、生死にかかわる事故を起こしているのです。
しばらく車椅子生活を余儀なくさせられ、足には若干の障害が残ったくらい、大きな事故だったようです。
そしてジャコーザが亡くなってしまったことも災難の一つ。
「ラ・ボエーム」「トスカ」「蝶々夫人」
の3大作品はすべてジャコーザが台本にかかわっています。
その存在が居なくなったことは、プッチーニにとってはかなり痛手だったのではないかと思います。
そしてもっとも障害となったのが、妻の嫉妬によるメイドの自殺事件、これがドーリア・マンフレーディ事件です。
メイドの名前がドーリア・マンフレーディだったので、この名前が付いているのです。
そもそも妻のエルヴィラには夫がいたので、プッチーニと実質夫婦の暮らしをしていたものの、
実際に結婚をしたのは、前夫が亡くなった後です。
付き合いだしてから約20年もたってからだったと言うので
それだけでもややこしい感じがするのですが、怖いのはプッチーニの妻の行動です。
嫉妬深い妻はメイドが夫と浮気をしていると思い込み、無実のメイドをいびり倒して、自殺に追い込んでいるんですよね。
この事件を読むと、女性の嫉妬の恐ろしさに戦慄してしまいます。
やたらと言いふらすとか、街の中で何度も罵倒するとか、ありえない‥。
どうしてプッチーニはそんな女性と不倫の末結婚したのかと、どうしても思ってしまうのですが
男女の仲はいつの時代もわからないものです‥。
当然のことながら、妻のエルヴィラは自殺した女性の家族に訴えられたので、結局プッチーニは多額のお金を払って示談にしているんですね。
そんなゴタゴタの中で、オペラの作曲に没頭することなどできなかったんだろうと思います。
それにしてもこういう嫉妬っていったいなんなのかなと思うにつけ、
それはプッチーニへの強い愛情なんかではなく、所有欲とか縄張り意識なんじゃないかと
思うのですが、どうなんでしょう。(オペラと関係ない話になってしまいました)
それはともかく、西部の娘はプッチーニの久しぶりのオペラというだけではなく、初演の場所がニューヨークということで、それまでのイタリアではないのです。
プッチーニもゴタゴタから抜け出して新たな土地に行きたかった?
なんて想像してしまいます。
メトロポリタンでの初演
西部の娘の初演はニューヨークのメトロポリタン歌劇場で、1910年のことです。
今でこそメトロポリタンはレベルが高く有名なオペラハウスですが、
必ずしもずっとそうだったわけではありませんでしたし、西部の娘が初演されるより少し前までは
主にドイツ系のオペラが中心でした。
1908年を皮切りに、上質のイタリアオペラが積極的に上演されるようになったのですが、
それは指揮者トスカニーニがメトロポリタン歌劇場に来たこと
そして、ガッティ・カサッザという人物が支配人としてメトロポリタン歌劇場に就任したことが大きかったのだと思います。
ガッティ・カサッザはスカラ座の支配人をやっていたほどの人だったんですね。
1908年にアイーダを上演した後、プッチーニの西部の娘をメトロポリタンで初演したことは、アメリカのオペラの歴史にとって画期的なことだったわけです。
そもそもプッチーニがイタリア以外の場所で初演したのはこの西部の娘が初めてでしたしね。
初演のチケットは通常の二倍の値段で売られた上に、プレミアが付いて、ものすごく高額なチケットも飛び交ったといいます。
まさに話題の初演だったのがよくわかります。
私など、自分で書いていても当時の様子を思ってワクワクしてしまうくらいです。
初演の歌手について
西部の娘の初演は
- ミニー:エミー・デスティン
- ディック・ジョンソン:エンリコ・カルーソー
- 保安官ランス:パスクアーレ・アマート
という配役でした。
エンリコ・カルーソーなら名前だけは知っているという人もいると思います。
そんな有名な人をアメリカに呼んだんだなと思います。
また、主役のミニーを演じたエミー・デスティンという人は、チェコが誇るソプラノ歌手でこの役を演じた時は32歳。
この人の経歴を見ると、デビューはカヴァレリア・ルスチカーナのサントゥッツァで、
得意としていたのはシュトラウスのサロメや蝶々夫人、トロヴァトーレのレオノーラ。
そして、国際的に有名になったのは、バイロイトでさまよえるオランダ人のゼンタを演じたこと。
エミー・デスティンの声を実際に聞いたことはありませんが、この経歴を見ると、
ワーグナーの中でも比較的軽めのゼンタのみ演じていることや、蝶々夫人やサントゥッツァなどをを得意としていたことから、
ワーグナーを得意とするほどドラマティックな声ではなかったものの、強靭な声を持ち、強い意志を持つ個性的な役柄を得意としていたのだと思います。
西部の娘もかなり個性的な役ですから。
ちなみにトスカニーニが1908年にメトロポリタンでアイーダを指揮した時のタイトルロールもこの人だったようですね。
また相手役は、世界的なテノール歌手エンリコ・カルーソーで当時37歳。
そして保安官のランス役のパスクアーレ・アマート(バリトン)は当時32歳。
カルーソーとアマートは二人ともイタリアのナポリの出身。
この3人は、メトロポリタン歌劇場と縁が深く、その後も何度か出演していたようです。
日本でも新国立劇場には、ちょいちょい同じ歌手が海外から呼ばれていますよね。
メトロポリタンもそんな感じだったのかなと思います。
成功するとまたその人を使いたくなると思いますし。
西部劇のオペラ
西部の娘はそれまでのプッチーニの作品と雰囲気ががらりと変わります。
もっとも、その前の作品は蝶々夫人ですからこちらも異国もの、
そして今度もアメリカという開拓地で異国ものなので、その点では似ているのですが‥。
西部の娘は何が特徴的かというと、西部劇だということです。
西部劇のオペラって、他にはないんじゃないかと思うんですよね。
西部の娘は、ゴールドラッシュのアメリカが舞台。
土ぼこりが舞うような舞台設定なのです。
1910年の初演は上演前から話題性もあり、成功でした。
ところが、現在はどうかというと、プッチーニの作品の中では、上演回数はあまり多い方ではありません。
実際にこのオペラを見ると、
情熱的なプッチーニの音楽には引き込まれますし、ストーリー的にもかなりおもしろいうと思うのですが、やはり西部劇ということが今一つの理由なのかなと思います。
というのも西部劇といえば映画に勝るものはなかなか難しいですよね。
- 真昼の決闘
- 駅馬車
- シェーン
などなど、現代まで語り継がれる名画が数多くありますよね。
数々の西部劇の名画があるのに、わざわざそれをオペラで見るかなと。
しかも映画はかっこいい男性が主役なのですが、西部の娘ではピストルを構えて啖呵を切るのは女性。
映画に比べてしまうと、オペラで女性が主役の西部劇をやるのは分が悪かったということではないでしょうか。
また、現在はその西部劇の映画でさえ、忘れられている存在で、西部劇自体が古いものになってしまいました。
そもそもオペラは古い時代設定が当たり前だとは思うのですが、題材とか舞台設定というのも人気に左右するという例のような気がします。
上演時間とあらすじ
上演時間について
- 第一幕:約65分
- 第二幕:約45分
- 第三幕:約30分
正味2時間20分ほどです。
二回の休憩が入るとやはり3時間ほどはかかります。
特に第二幕ミニーの家における緊迫感はもっとも盛り上がるところです。
簡単あらすじ
第一幕
ミニーが働く酒場「ポルカ」のシーン。時代はゴールドラッシュで酒場には鉱夫達がいる。
そこにやってきたディック・ジョンソン(実は盗賊団の首領ラメレス)とミニーはお互いに惹かれあい
夜ミニーの家で会う約束をします。
第二幕
ミニーの家にディック・ジョンソンがやってきます。
しばらくすると保安官のランスも来たので、ディックを隠すミニー。
しかしながら、ランスからディックが実は盗賊団の首領であること、それがわかったのは情婦が口を割ったため、ということがわかると、
ランスが出て行った後、ミニーは嫉妬と怒りでディックを追い出してしまいます。
その途端ディックがピストルで撃たれたため、ミニーは急いで屋根裏部屋にディックを隠します。
そこへランスがやってきて‥。天井から滴る血。
ミニーはランスに対して、ディックをかけたカードゲームを挑み、イカサマをして勝ちを取ります。(強いミニー‥)
第三幕
ついにランス達に捕まるディック。
ディックの死刑が執行されようとしたとき、ミニーがディックの前にピストルを持って立ち、彼を救って欲しいと訴えます。
ミニーの言葉に打たれてディックは許され、二人は去っていく。
というあらすじ。ピストルが何度も出てきて、まさに西部劇のようなストーリーです。
あまり有名なアリアはありませんが、プッチーニらしく、劇的な音楽はとても引き込まれます。
ストーリーもハラハラするおもしろさがあり、何よりミニーは大変な役。
ミニー役をどんな風に演じてくれるのかが見どころのオペラです。
西部劇をオペラにするとこうなるよ、というオペラ。一度は見たいオペラです。
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