ドイツオペラの歴史がおもしろい

世界の有名なオーケストラといえば

  • ベルリンフィル
  • ウィーンフィル

が浮かぶ人も多いのではないでしょうか。

どちらもドイツ語圏のオーケストラなんですよね。

ウィーンフィルのメンバーはウィーン国立歌劇場のメンバーでもあり、

またウィーン国立歌劇場は世界最高峰のオペラハウスでもあります。

 

オペラってイタリアで生まれて、長い間オペラ界では優位な立ち位置に君臨していました。

オペラはイタリアに限る、オペラはイタリア語でなきゃダメという感じだったのです。

あんなに優位だったイタリアなのに、イタリアには有名なオーケストラはあまり無く、

現在はオーケストラもオペラもドイツ語圏が強いんですよね。

というわけで今回は19世紀からめきめきと頭角を現してきたドイツのオペラの歴史が意外におもしろいという話です。

ドイツの底力を見せられる気がするんですよね。

 

ドイツのオペラ歴史のキーマン達

 

ドイツのオペラの歴史を見ると何人かキーマンのような存在の人がいると思います。

その中から今回は古い順に

  • ヘンデル
  • グルック
  • モーツァルト

を上げてみました。

このキーマン達を語らずにドイツオペラは語れないかな、という人達です。

最初にドイツのオペラの歴史をすごくざっと言ってしまうと、

以下のような流れじゃないかと思います。

もともとはドイツのハンブルクにはちゃんとドイツらしいオペラがあって、そこにいたのがハイドン

ところがドイツにはイタリアオペラの波がきて、ドイツオペラは廃れてしまいます。

そしてオペラ界はオペラセリアとカストラートの世界になります。

これが徐々につまらないオペラになってしまったので、改革しようと乗り出したのがグルック

グルックより少し後に生まれたモーツァルトは、イタリアオペラに迎合しつつドイツオペラも作った狭間の人と言えるのではないかと思います。

そしてウェーバーがでてきて、ついにドイツらしいオペラを打ち立てます

その後はワーグナーやシュトラウスがでてきて、ドイツオペラが揺るぎないものになり今に至るという感じじゃないでしょうか。

現代も新たな作曲家がうまれてその代表がベルクのような新しいオペラ

 

私なりですが、ざっとこんな流れじゃないかと思います。

何世紀にも渡る歴史をわずか数行でまとめたのでちょっと荒っぽいかもしれません。

もちろんもっとたくさんの人たちが係わっていますけど

ドイツオペラの歴史を考えると、大きくはだいたいこんな流れなのかなと思います。

 

さて、オペラ界で君臨していたイタリアの座が揺らぎ始めたのは19世紀のこと。

それは各地で国民主義が芽生えてきた時期とほぼ合っていて、

ドイツ圏に限らず、チェコでもロシアでも自国らしい音楽を目指そうという動きが出てきたんですよね。

その中でとりわけ頭角を現したのがドイツ、そしてロシアも。

特にドイツはめきめきとドイツらしい音楽が出てくるんですよね。

ドイツって実直なイメージがあるのですが、オペラの世界を見ても底力があるんだなと感じてしまいます。

 

ハンブルクオペラの時代

 

オペラはイタリアから始まって、18世紀おわり頃まではほとんどイタリア語のオペラしかなかったと思っていたのですが

実はもっと古い17世紀終わり頃から18世紀初頭にかけて、ドイツにはドイツ語のオペラがちゃんとあったんですよね。

場所はハンブルク。

この土地に1678年にドイツ最初の公共のオペラ劇場がちゃんとできています。

かなり古い時代です。

このころのオペラ作曲家はハイドンとかテレマン

あとあまり知られていないけどカイザーという人もいました。

ハンブルクについてはハンブルクのオペラの方でちょっと詳しく書きましが、ドイツ語を使ったバロックオペラがちゃんとあったんですね。

ところがこのハンブルクオペラにイタリアオペラの波が押し寄せてきます。

ハイドンはいち早くこの波を感知したのか

それまでのドイツオペラをやめて、イタリアオペラ路線に変更し、活動場所もイギリスにしてしまうんですね。

そしてハイドンに追随する形で、他の作曲家もイタリアオペラ式に路線変更していったのです。

 

当時ウィーンの宮廷詩人としてメタスタージオがいたということも影響したのではないかと思います。

メタスタージオといえばイタリア・オペラセリアの台本作家で最も有名な人ですから。

ほぼこの人の台本だったのじゃないかと思うくらいメタスタージオといえばイタリアのオペラセリア、という大御所です。

 

そんなイタリアオペラの勢いに押され、結果としてハンブルクのドイツオペラは18世紀前半にはほぼ廃れていってしまうことになりました。

ただ、ドイツオペラもしぼんだけど完全に無くなることはなく、庶民向けの歌芝居の形で残っていくことになるんですよね。

 

オペラセリアの時代とグルックの改革オペラ

 

ヘンデルがイギリスに行ってしまい、オペラ界はイタリアのオペラセリアの時代に突入します。

スター歌手のカストラートたちが注目されて、オペラは彼ら中心となり

次第に音楽性とかオペラ全体の流れなどは二の次になってしまいました。

結果としてどれもこれも似たような内容のオペラになり、次第に飽きられていきます。

当然ですよね。

ストーリーも似たような感じ、歌手の見せ場だけが誇張されるオペラでは、内容的に飽きられても仕方がなかっただろうなと思います。

またかという感じだったのではないかと‥。

 

その証拠に現在まで残っていて、上演されるオペラセリアはほとんどありません。

セリアの幕間劇だった短いオペラの方だけかろうじて上演されるくらいなのですから、皮肉なものです。

でも残っているオペラセリアももちろんあります。

それはヘンデルのオペラなんですよね。

ドイツ生まれのヘンデルがイタリア式に路線変更して作ったセリアは今も残っていて世界中で上演されているのです。

それは「セルセ」や「アリオダンテ」など。

でもこれらが初演された場所はドイツでもイタリアでもなく、ロンドンです。

ロンドンで活躍していたドイツ人ヘンデルのオペラセリアが残っているというのは、本家のイタリアにしてみるとどうなんだろうか、と思ってしまいます。

そしてイタリアのオペラセリアがマンネリ化しているのを、そんなことじゃダメ!と喝を入れたのがドイツ人のグルック。

グルックは当時の風潮にのっとって、イタリア式のオペラを書いていたけど、

歌手主体のショーのようなオペラではなく、オペラ全体として楽しめる作品、つまり音楽重視のオペラを作った人なんですね。

グルックのオルフェオとエウリディーチェを見ると、音楽はバロックっぽいけどオペラ全体が一つのストーリとしてまとまっていて、

音楽が劇的で引き込まれるおもしろさがちゃんとあるんですね。

このオペラを見る限り、お目当ての歌手にキャーキャー言うとか、オペラが中断してカデンツァが延々続くようなことは無かったんじゃないかと思うのです。

 

この時代のドイツオペラは、イタリアオペラに染まりつつも、活躍していたドイツ人作曲家たちがいたということじゃないかと思います。

ちなみにハイドンもドイツ生まれで同じ時代にいます。

実は彼もオペラセリアを作っているのですがハイドンの活躍場所はハンガリーの貴族の邸宅だったのであまり触れないことにしました。

ちなみにハイドンってマリオネットオペラ(人形劇のオペラ)も作っていたんですよね。

こっちは見てみたかったというのはあります。

 

モーツァルトとジングシュピール

 

モーツァルトという人はたった35歳で亡くなっているのですが

オペラの世界においてもやはりモーツァルトを語らずにはドイツオペラの歴史はあり得ないと思います。

モーツァルトはイタリアオペラが全盛の時に生まれていたので、ほとんどのオペラはイタリア式、言語もイタリア語でオペラを書いています。

フィガロの結婚も、コシ・ファン・トゥッテも、ドン・ジョバンニもです。

でも果たしてドイツ語圏でイタリア語のオペラばかり上演されるのを皆々快く思っていたのかというと、必ずしもそうでは無かったはずで

その証拠に18世紀の後半に現在のウィーンにブルク劇場ができたんですね。

現在もあるブルク劇場の前身です。

そしてブルク劇場にはドイツ語のオペラ劇団も設立されたのです。

作ったのはヨーゼフ二世。

少なくともヨーゼフ二世をはじめとして

ドイツらしいオペラを望んでいる人達がいたということがわかるわけです。

 

そしてモーツァルトがヨーゼフ二世からの依頼で後宮からの逃走というオペラを作り

初演したのがこのブルク劇場でした。

 

当時のイタリアオペラはレチタティーヴォが入る形式でしたが、

後宮からの逃走は、セリフが入るジングシュピール形式なんですね。

これは民衆の歌芝居として細々と(脈々とかな)残っていたドイツオペラの名残が復活したとも言える出来事だったのではないでしょうか。

残念ながらブルク劇場のドイツ劇団はわずか5年で消滅してしまったようですが、

後宮からの逃走はその最後の年の上演なのです。

たった5年で消滅してしまった詳しい理由は知りませんが、いろんな圧力があったようです。

そしてドイツオペラの本当の復活はもう少し後にウェーバーが出るまで延びてしまうんですね。

 

でもモーツァルトはもう一つドイツ語でオペラを作っています。

それは亡くなる直前に作った魔笛です。

どうしてドイツ語で作ったかというと、庶民の劇場をやっていたシカネーダが絡んでいたからなんですよね。

そしてこちらもジングシュピールの形式です。

 

そうやって一時ではあるけど、モーツァルトがドイツ語のオペラを復活し、よみがえらせてくれたように見えるのも

後の世から見るからなのかもしれません。

でも、どう見てもモーツァルトの音楽というのは、高貴で品があるので

この二つのドイツ語のオペラの存在意義ってすごく大きいんじゃないかなって思うわけです。

 

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