今回はワーグナーの大作ニーベルングの指環の中から
「神々の黄昏」についてです。
ニーベルングの指環は計4つのオペラからなり、全部の上演時間を足すと
合計でなんと約15時間にも及ぶ長い長いオペラです。
またオペラではなく、楽劇と呼ばれたりします。
そして「神々の黄昏」は4つのうちもっとも最後の章です。
ひとつ前の作品の「ジークフリート」でもちょっと触れたのですが、
ワーグナーのオペラというのは、好きなのに何がそれほど良いのかを書くのがなぜか難しい
と私は思います。
なので、私なりの良いと思うことと感じることをそのまま書いてみます。
よって音楽的にどうのこうのという難しい話は一切無いです。
もっとも人間臭いストーリー
ドイツの神話
ニーベルングの指環は元になっているのがドイツの神話なので、
現代のドラマとか映画を想像して見てしまうと、そもそも世界が違うストーリーなのです。
スケールが大きく見応えのある長大なオペラなのですが、社会派小説のようかというとそれとも違います。
「愛」がたくさん出てくるオペラでもあるからです。
ニーベルングの指環には、神々や巨人族、ニーベルンゲン族という小人族がでてくるし、
おそらく人間なのであろうキービヒ族もいます。そしてただの人間というのもいます。
このストーリーでは人間はとても脇役的な存在なのです。
そしてもう一つ特徴的なのは、人間の存在は小さいのだけれど、
神々達がやけに人間臭いということ。
たとえば主神のヴォータンは妻のフリッカに頭が上がらず、ちょっと嘘つきで、適当な男に見えます。
ヴォータンは、唯一ブリュンヒルデに罰を与える時だけ、深い愛情を見せますが、それも父の愛なので
主神の威厳とか怖さというより、とても人間臭い存在です。
そして正妻のフリッカも今風に言えば嫉妬深いただの妻ですし、
火の神ローゲは口だけが達者な営業マンのよう。
唯一神らしい威厳を持っているのは、智の神エルダだけじゃないかと私は思ってしまうのです。
そのせいなのか、私はエルダがかなり好きです。神々の中で異彩を放っていると思うから。
最もまともで知的で神らしいとでもいうのかな。
このエルダは、神々の黄昏では出てこないのですが、どんな歌手がどんな風に歌うのか、楽しみな部分なんですよね。
とはいえこのストーリーは、巨人が大蛇に変身したり、トネリコの木と強い剣が出てきたり、大蛇との戦いや、炎の岩山など現実ではありえない設定がたくさん出てくるので
やっぱりニーベルングの指環は神話の話なんだなと思うわけです。
特に「ジークフリート」では大蛇を倒すほどの怪力の男が、眠れる乙女の元に行くので、まるでおとぎ話のようなんですよね。
人間ドラマの章
そんな前の3作品に比べると、最後の「神々の黄昏」のストーリーはもっとも人間臭いドラマの章なのです。
ジークフリートとブリュンヒルデは、感動の出会いと永遠の愛を確認し合ったはずなのに、
ジークフリートは薬のせいとはいえ、あっけなく別の女性を好きになり、
あろうことか、ブリュンヒルデを別の男に差し出すという愚かな行為をしてしまうんです。
神の力を持っていたブリュンヒルデも、「神々の黄昏」の章ではすでに力を失ってただの人間臭い女性になっています。
妹に指環をライン川に戻すよう説得されても
「好きな人にもらったものだからいや!」と言うし
ジークフリートを別の女性に取られた腹いせにジークフリートの弱みを教えるところなどは、
嫉妬にかられて感情的になった女性にありがちな行為そのもの。
それもこれも元はと言えば、にっくきハーゲンのしわざなのだけど、こういう根っからの悪者っているし、ドラマとかでてくるよねって思うのです。
という感じで「神々の黄昏」はハラハラドキドキする人間臭いドラマ感がたっぷり。
そしてだからこそ最もおもしろいのが神々の黄昏じゃないかと、私は思います。
いったいどうなってるの・相関図
そもそもニーベルングの指環には不思議な近親相姦や親子関係が出てくるので相関図なしではかなり難しいです。
ジークフリートの両親は、まさかの双子の兄妹。
そしてその双子の兄弟はヴォータンと人間女性の間に生まれた子供。
双子の兄妹と知らずに愛し合ってしまい、二人の間にできたのがジークフリートという相関図になっています。
神話の世界では重婚は普通のことなので、
ヴォータンは正妻フリッカの他に、人間の妻と、智の神エルダという妻がいたんですよね。
それにしても兄妹、しかも双子の兄妹が愛し合ってしまうって、あまりに近すぎてダメでしょ!とどうしても思ってしまう私。
それでいてかわいそうな二人をすごく応援したくなるんですよね。
もっとも正妻のフリッカはそこら辺は実はまともで、そんなことはあり得ない、ダメと怒るのですが、
実は最もな意見。
でもだからと言って兄の方を殺さなくても‥。
(ここら辺はワルキューレの話です)
それはさておき、ジークフリートはヴォータンにとっては孫にあたります。
そしてブリュンヒルデはヴォータンとエルダの間の子供。
ということは、ジークフリートにとってブリュンヒルデって叔母さんにあたるんじゃないの?
なんてことを相関図を想像してついつい思ってしまうんですね。
思いつつ、いやいやこれは神話だったと…。
まあでもそんなことはどうでもよくなるのが「神々の黄昏」。
別の見方をすれば、ヴォータンの双子の子供を、父と母にもったからこそ、ジークフリートは特別な存在なんだなと思ったり、
またブリュンヒルデは、賢いエルダの娘だから、とりわけ知的で美しいんだなと、相関図を見て納得したりもするのです。
こんな風に不思議なところもいっぱいあるけど神話だからね、と納得し
一方で嫉妬が渦巻く人間臭さが妙にハラハラとしておもしろかったりと
現実と神話が入り混じった感じの神々の黄昏は、4つの作品の中で私が最も好きな作品です。
いずれにしても、ニーベルングの指環は、相関図を頭に入れていた方がおもしろいと思います。
「神々の黄昏」でアルベリヒがちょこっと出てくると、えーとこれだ誰だっけ、と思っちゃいますから。(私だけかもしれないけど)
私の場合、ノルンの3人の女神と、ラインの乙女がどうしてもごっちゃになったりするのです。
でもまあ、それも大したことじゃないよねと。
そんなこんなが頭をよぎりつつも、やっぱりおもしろくて目が離せないのだから。
キャラが立っている
神々の黄昏に限らずなのですが、ワーグナーのオペラは登場人物のキャラが立っているって思うのです。
ジークフリートは恐れを知らない怪力の持ち主だけど、騙されやすくて頭の方は決して賢そうではない。
一方ブリュンヒルデは、美人で強く、人の心を読む頭の良さと情がある素晴らしい女性だったけど、神々の黄昏ではかなり嫉妬や怒りなど女性的な面がでています。
ハーゲンはいいとこ無しの根っからの悪者で、最後は川に飲み込まれて死んでいくキャラ。
グンターは悪者ハーゲンの言いなりになり、いいように使われた末、殺されるという、ちょっとお坊ちゃん臭がする領主。
そしてグンターの妹グートルーネ。薬のせいでジークフリートに好かれるけどとりたてて個性のない普通の女性。
最高の女性であるブリュンヒルデとの対比が良いんだろうなと思うようなごく普通のキャラです。
とこんな風に書けるのも、それぞれのキャラが見ていてよくわかるからだと思います。
キャラがわかっていると、
あー、そんなことしちゃダメとか、
それを言っちゃダメとか
危ないから気をつけて!とか
思っちゃいませんか?
私は知らず知らずに思ってしまいます。
やっぱりワーグナーの台本ってすごい。
見どころ
よくワーグナーは登場人物によりテーマの音楽みたいなものがあって、そのキャラが出てくると必ず流れる旋律があってそれが変化して‥
みたいなことが書いてありますが、
それを気にしながら見ている人、聞いている人ってそんなにいるのかなって思っちゃいます。
少なくとも私はそういうのは気にしてみているわけではないし、はっきり言ってよくわからないです。
ただ言えるのは、ワーグナーを音楽を聞いていると、どうしようもなく「美しい」と思う瞬間がしばしば訪れるということ。
それが見どころで聞きどころなのかもしれません。
世の中にこんな素晴らしい音楽の瞬間があるんだろうか、と思えるビリビリっとくる瞬間ですね。
そんな感覚にいつも虜になっているような気がします。
個人的には神々の黄昏でもっとも好きなのは、ジークフリートが殺されてしまった後の
葬送の曲。自然に涙が出てきてしまったこともあります。
悲しいからというわけではなく音楽が素晴らしくて。
神々の黄昏を見ているとすっかりワーグナーの世界に入り込んでしまうんですよね。
第三幕まであるのですが、神々の黄昏は計4時間半に及ぶ上演時間。
長いから余計にその世界に入り込んでしまうのかもしれませんが、
最後に炎が付けられて神々の城に燃え移るという壮大なラストは、冷静に考えるとありえない世界なのですが、
ライン川に指輪が戻るラストになると、
ああ、指輪がラインに戻った
これでいいんだ…これで…
と長かった緊張感がフーッと静まってきて、肩の力が抜ける気がします。
そして身体のすみずみまで満足感を感じてしまう自分がいるのです。
やっぱりワーグナーって素晴らしい、って思っちゃうんですよね。
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