メリー・ウィドウ オペレッタの名作

私の場合オペレッタというとまっさきに浮かぶのはヨハン・シュトラウスのこうもり

そしてその次に浮かぶのがこのメリー・ウィドウです。

メリー・ウィドウを一言で言うなら、甘くて優雅なメロディー、そして楽しい歌とダンス

なかなか本音が言えない恋人達の小粋なラブストーリー。

そんなオペレッタです。

レハールのオペレッタ

 

オペレッタの歴史にも書いたのですが、

オペレッタはフランスから始まってウィーンにやってきます。

ヨハン・シュトラウスもレハールも、今ではウィンナーオペレッタの代表のように思われていますが

実はこの二人は同時代を生きていたわけではなく少しずれています。

ヨハン・シュトラウスが生まれたのは1825年

レハールが生まれたのは1870年

なので、レハールはシュトラウスの45年後に生まれているんですね。

レハールが活躍したのは主に20世紀になってからです。

ヨハン・シュトラウスがウィンナー・ワルツやウィンナーオペレッタの黄金時代の中心人物であるのに対し

レハールは、白銀時代とか銀の時代人という言われ方をしています。

19世紀に一世風靡したウィンナーワルツや、オペレッタの流行りが低迷してしまったころ

再度出てきたのがレハールとそのオペレッタでした。

オペレッタ熱がレハールにより復活した、というところでしょう。

レハールが生まれたのは当時オーストリア・ハンガリー帝国と呼ばれていた時代で、その中でもハンガリー側でした。

そしてレハールは1948年に亡くなっているのですが

彼が生きた時代は二つの大きな世界大戦があった時代でもありました。

なかでも第二次世界大戦は彼の人生後半に暗い影を落とすことになります。

というのもレハールは親ナチス派と非難されてしまったからです。

ヒトラーが彼の音楽を好んだことから、レハールは妻がユダヤ人であったにも関わらず優遇されたためなのです。

実際、レハールはメリー・ウィドウのスコアをヒトラーに進呈したといいます。

ヒトラーがこんな優雅なメロディーが好きだったというのはちょっと意外な気がしますが

ヒトラーが音楽好きであったことはよく耳にすることで、レハールのほかワーグナーも好きだったとか。

 

 

レハールの作風

さてヨハン・シュトラウスは現オーストリアの出身なのですが、

レハールは現ハンガリーの出身です。

ところが、二人のオペレッタを比べると、レハールの音楽からはあまりハンガリー色は感じられないです。

むしろオーストリア出身のヨハン・シュトラウスのこうもりの方がチャールダーシュの音楽が入るなど

ハンガリー色を感じるくらいです。

レハールは両親がドイツ人であること、プラハ音楽院で音楽を学んでいたことなどがその理由かもしれません。

プラハはチェコの西側ボヘミアと呼ばれる地域の都市で、東のモラヴィアとは異なりウィーン色が強かった地域です。

そのためレハールの音楽からは優雅さが出ているのでしょう。少なくとも土臭さが無い音楽、という感じがします。

個人的には土臭さも好きなので、カールマンのオペレッタも好きなんですけどね。

 

レハールのメリー・ウィドウは流れるような優雅なメロディーが特徴的なのですが、

もう一つは踊りがふんだんに入っていること。

マキシムのキャバレーの踊り子達の踊り男性による女性談義の歌とダンスなど。

ヨハン・シュトラウスのこうもりに比べると踊り要素が多くなっているので、

初心者でもより楽しめるのはこちらのオペレッタかもしれません。

音楽的に楽しめるのは、こうもりだと思うのですが‥。

そもそもオペレッタはフランスのオッフェンバックの天国と地獄の影響でウィーンにきたものです。

ヨハン・シュトラウスは50歳も近くなってからオッフェンバックの勧めもありオペレッタを手がけるわけですが、

この二人のオペレッタは全く毛色が違っているのに対し、

後のレハールのオペレッタにはカンカン踊りが入るところだけをとれば、オッフェンバックの流れを汲んでいるようにも見えます。

天国と地獄のブームの影響で、パリのキャバレーでカンカン踊りが定着し、その後に生まれたオペレッタがパリを舞台にしたレハールのメリー・ウィドウ、

そんな流れでしょうか。

アン・デア・ウィーンの初演と台本

メリー・ウィドウの初演は1905年のこと。

場所はオーストリア、ウィーンのアン・デア・ウィーン劇場です。

この劇場はモーツァルトのオペラ魔笛の台本をかいた、シカネーダが建設した劇場です。

現在は建設時の建物ではありませんが、少しだけ残っている部分もあり、それがパパゲーノ門と呼ばれる部分。

現在ホーフブルクと呼ばれるかつてのハプスブルグ家の王宮からほど近いところにあります。

このアン・デア・ウィーン劇場でレハール自身の指揮により初演されました。

原作はアンリ・メイヤックというフランスの劇作家なのですが、この人が結構すごい人なんですよね。

ビゼーのカルメンの台本を作った人で、オッフェンバックの台本も手掛けている人なのです。

ビゼーのカルメンを見るとその台本のすばらしさにいつも感心してしまいます。

カルメンは音楽も良いけど台本も素晴らしくよくできていると思うんですよね。

メリー・ウィドウの実際の台本を書いたのはアンリ・メイヤックではないのですが、

元がこの人の作だと思うと、おもしろいわけだよね,と思ってしまうのです。

メリー・ウィドウ簡単あらすじ

そもそもなぜメリー・ウィドウという題なのかということがあります。

直訳すると「陽気な未亡人」なのですが、そもそもメリー・ウィドウって英語ですよね。

原語はドイツ語で、Die lustige Witwe(陽気な未亡人)といいいます。

このオペレッタは世界中で上演される人気の演目で、英語圏ではメリー・ウィドウでよばれているので

日本でもメリー・ウィドウの方になったということでしょう。

このオペレッタは難しいストーリーではないので見ていればわかると思いますから簡単あらすじを書いておきます。

 

軸となるのは亡人ハンナと伯爵ダニロ。

舞台はパリですが、二人の出身はモンテネグロという設定。

ハンナは裕福な老人と結婚後すぐに死別して未亡人となったため、ハンナの心を誰が射止めるかが注目の的。

パリの男性と結婚すると莫大な資産がフランスに行ってしまうから避けたいという、国がらみの思惑と

モンテネグロのもう一つのツェータ夫婦の妻の浮気問題が絡まって物語が進んでいきます。

ダニロは伯爵でハンナの生まれがよくなかったため、かつて好き同士だったのに別れなければならなかった過去があります。

現在は裕福な未亡人になったので条件的には問題ないはずなのですが、

ダニロはハンナを本当に愛しているので、他の男性のようにお金目当てと思われたくないわけです。

最終的にはハンナが「結婚したら私の財産は無くなるのよ」、という言葉を聞いてだったらいいや、と辞める人もあり、

逆にダニロはそれを聞いて安心して素直に愛を告白するというあらすじ。

実際にはその続きがあって、私の財産は無くなるけど結婚相手のものになるのよ、

となるわけで、なんとも粋なラブストーリーです。

有名なメリー・ウィドウのワルツや、ヴィリアの歌の他

キャバレーマキシムの踊りもあり。

まさしく二大オペレッタにふさわしいオペレッタだと思います。

 

ちなみにかつてはウィーンの国立歌劇場ではオペレッタは上演されず、例外がヨハン・シュトラウスのこうもりだけだったのですが、

現在はレハールのメリー・ウィドウも国立歌劇場のレパートリーになっています。

それくらい愛されるオペレッタだということでしょう。

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