イエヌーファ(ヤナーチェク)娘の赤ん坊を雪の中へ

チェコのヤナーチェクという人が作曲した「イエヌーファ」というオペラについてです。

イエヌーファは女性の名前

重いストーリーですが、引き込まれるオペラです。

チェコ版ヴェリズモオペラといってもいいかもしれません。

ヤナーチェク劇場

リアルで深刻なオペラ

イエヌーファというオペラは決してポピュラーなオペラではないと思います。

比較的時代が新しいオペラで、モーツァルトやヴェルディのように有名ではありませんし

その音楽もそれらと比べると、どうしても聞きにくいと感じる音楽になっています。

さらにチェコ語ということで、日本にとってはあまりなじみがない原語で作られているということも、あると思います。

要するにオペラの中ではかなりマニアックな部類のオペラではないかと思います。

イエヌーファは、マスカーニのカヴァレリア・ルスチカーナのようなヴェリズモオペラを思わせるリアルで深刻なストーリーなのですが、

イエヌーファはさらに重いオペラかもしれません。

義理の母による、生まれたばかりの赤ん坊を冷たい川の中に捨てに行くという行為は

戦慄するものがあります。

なぜこのオペラを作ったのか

イエヌーファに出てくるブリヤ一族の人物関係はちょっと複雑です。

イエヌーファが産んだ赤ん坊の父親は、いとこのシュテヴァ。

このシュテヴァは遊び人で結婚する気はない。

一方イエヌーファに想いを寄せるのは、シュテヴァの腹違いの兄のラツァ

ラツァは後妻の連れ子なのでブリヤ家では肩身が狭い

そしてイエヌーファの赤ん坊を殺してしまうのは、イエヌーファの養母なんですね。

養母のコステルニチカは、娘に黙って赤ん坊を捨てに行くのですが、

それは義理の娘の幸せのためなのか、家の名誉を守るためなのか、なぜそこまでしたのかがよくわからず

個人的にはモヤモヤ感が拭えないのです。

本当の娘ではないわけですし。

もともと裕福なブリヤ家にはブリヤばあさんが君臨していて、シュテヴァが放蕩息子でも気にしない。

コステルニチカは、ブリヤ家の中ではシュテヴァに批判的で、それもうなづけるんですよね。

でもなぜ殺してしまったのか、そうしなければいけないと思ってしまった性だとしたら、そんなものなのだろうかと思ってしまうのです。

そして、ヤナーチェクはなぜこのような人物設定のオペラにして、このオペラを作ったんだろうと、どうしても思ってしまうんですね。

これはヤナーチェク自身が母親の二度の結婚を含め複雑な環境にあったこと、

またヤナーチェクの夫婦関係が必ずしも良くなかったこと

はやはりあるのではないでしょうか。

またヤナーチェクは実生活で自身の子供のうち二人をなくすと言う辛い経験をしています。

特にイエヌーファ作曲中には最愛の娘オルガを亡くしています。

辛い経験がこのオペラに一層暗い影を落としている、というのもうなずける気がします。

ヤナーチェクという作曲家

ヤナーチェクはチェコを代表する作曲家なのですが、

チェコの場合同じ国でもチェコの西か東かを無視するわけにはいかないところがあります。

西側はボヘミア地方、東側はモラヴィア地方と呼ばれます。

首都のプラハがあるのは西側ボヘミア側ですね。

余談ですが、私などはチェコというよりチェコスロバキアという方が馴染みがあります。

今はスロバキアとは別れて別の国になっているんですよね。

子供の頃は国というのはもう変わらないとなぜか思っていました。

国境が変わったり国の名前が変わったのは過去の歴史の話だと。

でも実際は、今でも国はできたり、無くなったり、合併したりと変わっていくものなんですよね。

それはともかく、チェコの西と東は

日本における、西日本か東日本かとはずいぶん様相が違います。

そもそも言葉の壁がありました。

現在のチェコの公用語はチェコ語ですが、かつて西側はハプスブルク帝国支配下だったこともあり、ドイツ語が主流

そして東側は、チェコ語だったんですね。

西側の人たちは主にドイツ語を話していたのです。

西側にはプラハがあり、都会的で栄えていたのに対し、東はどちらかというと田舎。

中心はブルノという街でした。

ヤナーチェクは東側ブルノの少し北の街で生まれています。

そして生涯のほとんどをブルノで過ごしている作曲家なんですね。

チェコにはスメタナやドヴォルザークといった有名な作曲家がでていますが、スメタナは西側、

そしてドヴォルザークはチェコを出てアメリカまで行っている人です。

その作風はチェコらしいというより、世界中の人に馴染みのある音楽性があるのではないでしょうか。

対してヤナーチェクの音楽は、どっぷりチェコ、という感じです。

プラハは音楽もハイレベルだった街なのに、ヤナーチェクはほとんどプラハにはいなかったのです

プラハで上演できなかった事情

遠く離れた日本からチェコの事情というのはピンとこないかもしれません。

今でこそヤナーチェク劇場というのがあるほどヤナーチェクはチェコの作曲家として世界中で有名です。

チェコのオペラとしてはスメタナやドヴォルザークより、多くが上演されています。

それくらいチェコの国民的な作曲家として名前と作品を残しているのですが、

当時の扱いは必ずしもそうではなかったようです。

チェコでは音楽と言えばやはりプラハが中心でした。

モーツァルトもプラハはお気に入りの場所でした。

フィガロの結婚は大人気でしたし、ドン・ジョバンニ皇帝ティートの慈悲はプラハが初演の場所です。

それくらいプラハはチェコの音楽の都でもあったわけです。

オペラの上演場所としてはやはりプラハを望むのは当然だったと思います。

ところが当時のヤナーチェクは必ずしも今のような大作曲家ではなく、プラハでは二流作曲家という評価だったのです。

モラヴィア色、チェコの国民色を強く出したオペラだったということと、

プラハの歌劇場の責任者がヤナーチェクをよく思っていなかったという軋轢があったのが大きな原因でした。

今風に言うならブルノの田舎作曲家というような評価を受けていたのでしょう。

プラハでの上演を望んでいたにもかかわらず、拒否され続け、ようやくプラハでの初演ができたのは60歳も過ぎてからのことでした。

もっともヤナーチェクのオペラはそれほど若い時から作曲していたわけではないのですが、

それにしてもプラハには長らく受け入れられなかった、つまり不遇だったのかなという印象です。

オペラの見どころ

イエヌーファはチェコ語のオペラです。

しかもヤナーチェクのオペラはしゃべり言葉の抑揚が音楽に取り入れられているという、それまでの音楽とは異なる旋律性があります。

作曲家という肩書より民族学者という肩書の方が有名だったヤナーチェクなので、民族音楽学色がでているのかもしれません。

ところが私たち日本人にとっては、イタリア語もドイツ語もチェコ語もすべて外国語なので、

抑揚がどうのこうのと言われてもピンとこないのです。

その代わりチェコの人々にとってはとても耳に心地よい音楽なのだろうと思います。

それが味わえないのはとても残念なことですが、それをわかっていて見るとなかなかおもしろく、それも見どころなのではないでしょうか。

また、イエヌーファが世界中で上演されているのは、言葉の壁を越えた魅力があるからなのだと思います。

とはいえ、モーツァルトやヴェルディのようなわかりやすい音楽ではないので、

そこは覚悟して見たほうが良いと思います。

私の場合は、初めて見た時は、何の予備知識もなかったため、音楽はかなり聞きにくいものを感じました。

ところがなぜかストーリーに惹かれるものを感じて、最後まであっという間に見終わったという感じでした。

ラストの赤ん坊が見つかってしまうシーンは

ドキッとするラストであることは確かで、見どころの一つだと思います。

ヤナーチェクのオペラにカーチャ・カヴァノーヴァというオペラがありますが

そちらのオペラの登場人物もイエヌーファ同様複雑な人物関係があります。

やナーチェックのオペラには、義理の母や義理の子供というシチュエーションが多いなという印象があります。

また家を重んじる田舎の風潮など、当時の生活背景が感じられるオペラはまさに写実的なオペラと言えるかもしれません。

最後にヤナーチェクが現在のように有名になった背景には

オーストラリアのチャールズ・マッケラズという指揮者の存在がありました。

チェコ語のモラヴィア方言で書かれたヤナーチェクのオペラはチェコの人でなくては扱えない

と思われていたのですが、

このマッケラズという人はオーストラリア人だったにもかかわらず

チェコ語を習得していたため、このオペラをロンドンで上演して成功しています。

オペラの上演や復活には、しばしば指揮者の努力というのがとても大きいなと思います。

トスカニーニがアメリカに渡ってメトロポリタン歌劇場にイタリアオペラを定着させたこと、

リッカルド・ムーティがベルコレージのオペラを進んで取り上げたことなど、

後々そのオペラがメジャーになるために、指揮者の貢献度というのは大きいと思います。

チェコの人、特に東側モラヴィアの人の気質は日本人と似通っていると言います。

礼儀正しく几帳面で自己主張も強くない、シャイなところなど。

モラヴィアは行ったことがないのですが、行ってみたい土地ですね。

ヤナーチェク劇場

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