オペラを見るようになるとちょこちょこと出てくるレチタティーヴォと言う言葉。
今回はこのレチタティーヴォについてです。
レチタティーヴォとは
レチタティーヴォとは歌唱様式の一つです。
アリアや重唱、合唱の前や合間に話すように歌っているところです。
地声で話すのではなく、かといってアリアのように抑揚やリズムをつけて感情的に歌うのでもなく、
どちらかというとたんたんと話すように歌う方法で、状況説明やアリアの導入などに使われます。
レチタティーヴォは日本語に訳すと「叙唱」「朗唱」などと訳されますね。
叙唱と言うのは教会で式典の形式を唱える祈祷の一種、
また朗唱というのは詩を声高に朗読することです。
この二つの言葉からなんとなくレチタティーヴォのイメージがつくのではないでしょうか。
アリアや重唱を邪魔しない程度の歌とも言えます。
たとえばですがオペラの中で、
「たった今戦地に赴いている彼の死の連絡が来てしまった、私はどうしていいのかわからない、なんということなのでしょう」
ここまでの説明をレチタティーヴォで歌い、悲劇の感情が頂点に達したので、
「あー悲しい悲しい、どうしたらいいのでしょう。どうしたらいいのでしょう。」
と悲しみのアリアを切々と歌う、というこんな感じが基本的なところじゃないかと思います。
この場合のアリアは悲しい感情を歌うだけで物語の進行は基本的に無しなのです。
そしてオペラによってはアリアが終わるとパチパチと拍手。
と言うような感じでしょうか。
アリアは一人で歌いますが、レチタティーヴォのあとは二重唱や三重唱、さらに合唱になることもあります。
さて、アリアや重唱の合間をレチタティーヴォにするか、または普通のセリフにするかによって、オペラ全体のイメージというのはずいぶん変わります。
例えば「カルメン」という有名なオペラがありますが、
カルメンはもともとは普通のセリフが入るオペラコミックと呼ばれる形式でした。
その後、セリフの部分をレチタティーヴォに変えてから急激に人気が上がったといいます。
現在上演されているカルメンは、主としてレチタティーヴォが入ったカルメンです。
また、チェコのスメタナという作曲家の代表作「売られた花嫁」も当初はセリフが入っていましたが
現在ではレチタティーヴォに変えられたものが一般的に上演されています。
このように書いていくとレチタティーヴォの方が良いように思うかもしれませんが、
そういうわけでもありません。
モーツァルトの魔笛はセリフが入っていますし、オペレッタの多くはセリフが入ります。
全体のイメージとしてはレチタティーヴォではなく、地声のセリフが入る方は、よく上演されるオペラに関して言えば
オペレッタやブッファなど楽しめる演目が多いのではないでしょうか。
カルメンについてはレチタティーヴォの方が合っていたと言うことなのでしょうね。
レチタティーヴォの種類
さて、レチタティーヴォの中にも種類があります。
一つはレチタティーヴォ・セッコ(recitativo secco)と呼ばれるもの。
セッコは乾いたという意味ですが、どちらかというと時代が古いオペラに多いレチタティーヴォで
基本的にチェンバロで伴奏します。
チェンバロというのは見た目は小さいグランドピアノのようなのですが、ピアノとはかなり構造が異なり、弦をはじいて音を出しています。
英語ではハープシコードと言われるくらいですから、どちらかというとハープに構造は似ているんですね。
音は少し金属的で、強弱が無く、音が伸びないので、
「ジャラン!♪」と弾いて、レチタティーヴォで語る
そんなイメージでしょうか。
モーツァルト以前のオペラにはこの様式がとても多いので、
チェンバロ+レチタティーヴォの音を聞くだけで
私は時代が古いオペラという感じがしてしまいます。
レチタティーヴォのもう一つの種類は
レチタティーヴォ・ストロメンタート(recitativo stromentato)器楽付きレチタティーヴォ、
またはレチタティーヴォ・アッコンパニャート(recitativo accompagniato)伴奏付きレチタティーヴォ、
といって、オーケストラの様々な楽器が伴奏となって歌うものです。
こちらも通常はアリアの邪魔にならない程度の音楽で、リズミカルだったり激しい音だったりすることはないと思います。
実はチェンバロよりあとにフォルテピアノのいう楽器があり、それがチェンバロの代わりにレチタティーヴォの伴奏をしていた時代もありました。
フォルテピアノというのは、形はチェンバロ同様小さいグランドピアノのようなのですが、
構造的には現代のピアノに近く弦を弾くのではなく叩く構造になっています。
音はピアノとチェンバロの中間という感じですね。
レチタティーヴォの歴史
チェンバロを使ったレチタティーヴォが盛んに使われたのは、オペラの歴史の中でもナポリ楽派とよばれる人たちが活躍した時代です。
18世紀、イタリアの音楽の中心はナポリでした。
それ以前はヴェネチア、さらにもっと遡るとオペラの原型はフィレンツェで生まれています。
オペラの歴史にも少し詳しく書きましたが、16世紀の終わりに、
ベーリやカッチーニはフィレンツェにおいてオペラの原型と言える作品作り出しました。
ただ、まだその頃のオペラは、レチタティーヴォとアリアという区別はなく、歌とセリフの中間のような形式だったと言われています。
今でいう弾き語りに近いようなものだったのでしょう。
その後モンテヴェルディが現れてヴェネチアで活躍します。
モンテヴェルディは現在のオペラの形を作ったと言われている作曲家なのですが、
それは、独唱に器楽伴奏をつけるというやり方から来ています。
と言うのもそれまでの歌の主流は、独立したいくつかのパートからなる音楽だったんですね。
現在のママさんコーラスに似ている感じといえばいいでしょうか。
教会音楽が主流ですから、なんとなく想像できるのではないでしょうか。
独唱や重唱に器楽伴奏をつけると言うやり方はこの時代にやっと始まるわけなんですね。
ただ、まだこの頃もレチタティーヴォとチェンバロというという組み合わせは明確になっていなかったようです。
モンテヴェルディがチェンバロではなくヴィオラ・ダ・ガンバ(現在のバイオリンのような楽器)の奏者だった、ということも影響していたのかもしれません。
そして音楽の中心がナポリに移り、本格的なバロックオペラの時代になっていきます。
当時のナポリは「世界の音楽の首都」と言われるほど音楽の都だったんですね。
音楽家達が目指す頂点がナポリだったと言われたくらいです。
現在ではイタリアはミラノのスカラ座がオペラの殿堂などと言われているため
有名になっていますが、過去においてはそうではなかったんですね。
18世紀前半にはナポリに次々に劇場が建てられたことからも、ナポリの繁栄ぶりが想像できるのではないでしょうか。
その中の一つ「サン・カルロ劇場」は現在も残るヨーロッパの現役最古のオペラハウスです。
(サン・カルロ劇場。正面両脇にはパイジェッロとチマローザの金ピカの像が立っています)
さて、バロックオペラがレチタティーヴォとアリアの形になることに大きな影響を与えたと言われるのは
スカルラッティという作曲家です。
スカルラッティは当時非常に多くのオペラを書いているのですが、
彼の頃からオペラはアリアとレチタティーヴォが明確に別れるようになっていき、
後のナンバーオペラと呼ばれるオペラの形に結びついていったと言われています。
(ナンバーオペラというのは、アリア、重唱、合唱などそれぞれが独立してナンバーが全てつけられているオペラを指して言います。)
ナポリ楽派と呼ばれる18世紀のオペラは主にチェンバロ伴奏のレチタティーヴォになっており、
当時の有力者だったスカルラッティがチェンバロ奏者だったことと無縁ではないような気がします。
そしてナポリを中心とするオペラは神話や歴史上の英雄が主役の、コテコテの(と言っては問題かもしれませんが)オペラセリア全盛期になっていきます。
カストラートと呼ばれる去勢した男性歌手がスターとなっていた時代と重なることも興味深いですね。
当時のナポリには有名なカストラート養成学校があり、
映画にもなったファリネッリというカストラートもナポリでデビューしています。
また、当時のイタリアではレチタティーヴォを専門に書く人もいたらしく、現在のように一人の作曲家が全部書くのが当然、ということでもなかったこともおもしろいですよね。
オペラセリアはスター歌手のアリアが主で、物語の進行はもっぱらチェンバロのレチタティーヴォでさらっとやっていたのでしょう。
レチタティーヴォがより重要な意義を持つようになったのは、少し後のオペラブッファからだといわれています。
ブッファは喜劇なので劇の進行にとってとりわけセリフが重要だったと思います。
さて、人気があったオペラセリアも徐々に飽きられていきます。
スター歌手のアリアありきのコテコテのオペラセリアは、次第にワンパターン化していき、
つまらなくなっていってしまったんですね。
そこで、オペラセリアの合間にインテルメッツォと呼ばれる短い幕間劇を挿入するようになるのです。
それがオペラブッファの始まりと言われ、有名なのはベルコレージの奥様女中。
日本に能楽がありますが、厳かな能の合間に狂言がはいりますが、ちょっとあれを思いだしますね。
能も嫌いではないのですが、正直なところ、長くてちょっと退屈‥。
合間に入る狂言は好きなんですよね。
さて、ワンパターンのオペラセリアにつまらなさを感じていた観客は、徐々にオペラブッファに傾倒していきます。
オペラブッファはいかにおもしろい話かというストーリー性が重要なので、
物語を説明するレチタティーヴォの存在は、より重要な役割を担っていったものと思われます。
さてレチタティーヴォはその後チェンバロ主体のレチタティーヴォ・セッコから
器楽伴奏つきのレチタティーヴォ・ストロメンタートに移行していきますが、
さらに19世紀のロマン派の時代になるにつれ、今度はレチタティーヴォとアリアの区別が徐々に明確ではなくなっていきます。
オペラは最初から最後までずっと芝居と音楽が融合して流れていく感じになるんですね。
ナンバーもふられなくなり、幕ごとに分けるだけになっていきます。
先にナンバーオペラというのを、書きましたが、
ナンバーが付いていると、歌う人も演奏する人も練習しやすいですし、いろいろ便利だったのではないかと思うのですが、
見ている側としては若干ブツブツと切れるというか、見えないはずの番号が見えるような感じはやはり否めない気がします。
19世紀以降のオペラから、徐々にチェンバロのレチタティーヴォは減っていき
さらに器楽伴奏のレチタティーヴォはあるにはあるけど、明確は分け目が無くなっていきます。
はい、ここからレチタティーヴォ!
終わったらアリア!
という感じではなくなるわけですね。
現在人気のヴェルディや、プッチーニといったオペラにはチェンバロにレチタティーヴォというシーンは全く出てこなくなっていますよね。
というわけでレチタティーヴォだけに注目してもオペラっておもしろいんじゃないかなと思いました。
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