今回はサヴォイオペラについてです。
サヴォイオペラっていうのはイギリスで19世紀後半に大人気となったオペラのことを言います。
オペラというよりどちらかというとオペレッタの部類に近いですね。
どんなオペラかを私なりにいうと、ヴェルディやプッチーニのオペラと比べると全然別物で、
音楽もストーリーもかなり軽く、風刺もあり、何ならこれらって同じオペラの部類で良いの?とちょっと思うのですが
オペラ歌手が歌っているし、歌が始まると音楽は思ったよりずっと美しいので、やっぱりオペラかなと思うそんな作品です。
そしてサヴォイオペラの中でも有名な演目が日本が舞台の「ミカド」なんですよね、なんとなく微妙だなあという気もするけど、まあ楽しいからいいねとそう思わせるようなオペラでもあります。
ギルバート&サリヴァンのコンビ
サヴォイオペラというとまず出てくるのはギルバート&サリヴァンのコンビです。
ギルバートは台本作家、そしてサリヴァンは作曲家です。
この二人のオペラが19世紀後半ロンドンで大ヒットし
二人のコンビが作ったオペラ(の殆ど)を指してサヴォイオペラといいます。
サヴォイというのは劇場の名前です。
なぜ殆どなのかというと、サヴォイ劇場ができる以前も二人は活動していたので
すべてをサヴォイオペラと呼ぶかというとそういうわけでもないからです。
ギルバート&サリヴァンのコンビのオペラが人気だったので
ドイリー・カートという興行主がサヴォイ劇場を作って主に二人の作品をそこで上演したのです。
そもそも二人を結びつけたのもこのドイリー・カートという人で
彼はオペラカンパニーを作っていたんですね。敏腕の興行主です。
サヴォイ劇場ができる前、ギルバートとサリヴァンはすでに軍艦ピナフォアというオペラ(オペレッタ)で大成功し、今でいうロングラン公演をしていました。
ロンドンのオペラコミック座で約2年間でなんと600回近い公演を行ったと言いますからものすごい人気だったことがわかりますよね。
軍艦ピナフォアはその後ニューヨークでも数十回も公演しているのです。
そんな状況だったので、ドイリー・カートは二人のために劇場を作ったわけでそれがサヴォイ劇場なのです。
で、サヴォイ劇場ができたのは1881年10月で、その時のこけら落としは「ペイシェンス」という演目でした。
ペイシェンスは同じ年の4月にオペラコミック座で初演されていた作品で、これも大ヒットになっていたわけで、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いとはこういう状態を言うのじゃないかと。
ちなみにペイシェンスは乳搾りのメイドの名前です。
この作品が新しいサヴォイ劇場が始まる時の最初の演目になったわけです。(見たことはありませんが)
もちろん軍艦ピナフォアはサヴォイ劇場でもなんども上演しています。(これも見てみたい)
ギルバートとサリヴァンのオペラはオペラの中でもかなり芝居の要素が強い作品だと思います。
それもかなり庶民派の芝居ですね。
通常のオペラに比べるとアリアもかなり少ないし。
ただわかりやすいし、単純に笑えるから大衆受けしたんだろうなって思います。
やっぱり難しいヘンデルなどのオペラよりこっちなのね。
サヴォイオペラは、オーストリアのオペレッタともちょっと違うし、どちらかというとミュージカルのさきがけって言った方がいいのかもしれません。
ニューヨークでもヒットしていますしね。
サヴォイ劇場は電灯になった初の劇場
サヴォイ劇場はサヴォイオペラの場所として有名なだけではなく、はじめて電気が灯った劇場としても有名なのです。
なんとその意味では世界初の劇場。
今ではどこもかしこも電気が付いているのは当たり前すぎることなんですけど
当時はまだ劇場はガスバーナーが使用されていたのです。
だから匂いもするに熱も出るという、良くないというかかなりひどい状況の中で観劇していたんですよね。(信じられない)だからオペラのシーズンって秋から冬で、夏はないんじゃないのかな。
だからなのか、劇場って歴史を振り返ると、火事で消失っていうのがすごく多いんですよね。
建物の素材も今より燃えやすいし、いたるところに火の気があったわけだから火事にもなるわけなのねと。
そもそも劇場でガスバーナーの匂いがするなんて今だと考えられないことですよね。
そんな状況の中ドイリー・カートっていう人は世界初の白熱灯だけの劇場を作ったわけです。
これってすごいことだったんだろうなって思いませんか。
劇場が始まった時、ドイリー・カートは観客の前で白熱灯を壊して見せて、その安全性をしめしたのだとか。
パフォーマンスもさすがというか。
そしてこのドイリー・カートという人はオペラの興行主であるだけでなく、サヴォイホテルを作った人でもあるんですよね。
ギルバートとサリヴァンのオペラの中で最も有名な演目の一つが「ミカド」です。
ミカドは日本を舞台にした作品で、これが当たった収益でできたのがサヴォイホテルだと言われているのです。
ホテルもさきがけだったサヴォイ
サヴォイっていう地名はそもそも中世の頃からあって、サヴォイはイギリスの壮大な貴族の名前なんですね。
サヴォイがつく貴族はイタリアにもフランスにもありました。
つまりそれだけ力のある貴族だったということですよね。
そしてサヴォイ劇場は遠い昔にサヴォイ礼拝堂があったところだとか。
そんなことからつけたようですが、ネーミングもいいですよね。
その後ドイリー・カートはサヴォイの名がつくホテルも作るんですけど、壮大な貴族の名前のホテルって豪華な感じがしますから。
ギルバートとサリヴァンはサヴォイ劇場で「ミカド」を大ヒットさせ、
その上演回数は軍艦ピナフォアよりさらに上を行き、700回近かったと言います。
ミカドは日本が舞台のオペラです。と言ってもどこが日本なの?と思ってしまうようなオペラですが‥。
で、ドイリー・カートはミカドの収益で今度は劇場のお隣にホテルを作っちゃったんですよね。
それがサヴォイホテル。1889年ですから劇場ができた8年後です。
聞いたことがある人もいるんじゃないかと思いますけど、サヴォイホテルといえば知らない人はいないというロンドンの老舗ホテル。今もちゃんとあります。
しかもただ単にホテルを作ったというだけじゃなく、ドイリー・カートはホテルにはじめて電灯をつけて(劇場と同じですね)、電気昇降機(今でいうエレベーターです)をつけ、各部屋にはバスルームを設置したという
画期的なことをやってのけたんですよね。
どれも今では当たり前のものですが、それを最初に作ったのがドイリー・カートのサヴォイホテルだったわけです。
オペラを見ているとこんなことにまで繋がっていっちゃって、ほんとおもしろいなあって思うんですよね。
歴史はそれほど好きじゃなかったけど、オペラを通して見る歴史っていうのは私にとってはおもしろいもんです。
で、さらにいうとドイリー・カートはサヴォイホテルにセザール・リッツという人を支配人として呼んだのです。
リッツはのちにあのホテル・リッツを作っちゃう人なのです。
そして料理人としてエスコフィエも!。
エスコフィエって近代フランス料理の父と言われている人です。
すごいメンバーですよねえ。
まさかこれらの人たちがみんなサヴォイオペラと繋がっていたなんて!と思いませんか。
当時ドイリー・カートは高級ホテルにはショーが必要と考えていたようで
サヴォイ劇場で楽しく観劇してサヴォイホテルでエスコフィエが作った食事をとる、という流れだったみたいなんですよね、
なんとも優雅でいいなあ。
っていうか日本が舞台の「ミカド」の収益で現代のホテルのさきがけ的なホテルができたのだとしたら、なんか日本も遠巻きながら関係していたわけで、ほんと不思議なものです。
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