イタリアミラノのスカラ座においては、過去に多くの歌手や指揮者が、
天井桟敷の熱狂的なオペラファン達によるブーイングの洗礼を受けてきました。
あの有名な指揮者カラヤンでさえです。
(ミラノスカラ座)
スカラ座の天井桟敷の人々
スカラ座はイタリアオペラの殿堂ともいえるオペラハウスで、オペラハウスの中でも最高峰といわれる劇場です。
そのスカラ座には、天井桟敷と呼ばれる最も舞台から遠くて天井に近い位置にも席(席といっても半分お尻を凭れるくらいのちゃちな椅子の席ですが)があって、
熱狂的なオペラファンが陣取っています。
ブーイングのほとんどは主にこの天井桟敷から出てくるのです。
彼らは足繁くスカラ座に通うので、料金の安い天井桟敷の席をとるのですが、耳が肥えていて特にイタリアオペラには厳しいんです。
歌手が失敗したり、下手だと、容赦なくブーイングの嵐を浴びせることで有名です。
私が見た時もそんなにひどい出来だとは思えなかったのですが、ブーイングしている人がいました。
豚のようなブーブーという音(声)を出すんですよね。
スカラ座はイタリアの最高峰のオペラ座ということもあり、イタリアもののオペラには特にうるさい天井桟敷の人たちです。
中でもヴェルディの椿姫というオペラに関しては
マリアカラスの呪いから始まり悶着がいろいろとありました。
(スカラ座のショップ)
スカラ座のブーイングと椿姫
スカラ座とマリア・カラス
イタリアの殿堂ミラノのスカラ座では、これまで何度となくジュゼッペ・ヴェルディのオペラ椿姫が上演されてきました。
ところが約30年もの間にわたり全く椿姫が上演されなかった時期があるのです。
マリア・カラスというオペラ歌手の名前を、聞いたことがある方もいると思います。
天才歌手マリア・カラスがスカラ座で椿姫を歌って絶賛されて以来、
あまりにマリア・カラスのイメージが強かったので、しばらくの間椿姫をやる勇気のある歌手がいなかったし、スカラ座運営者も避けたのでしょう。
それでも一度勇気をもって椿姫を上演した時が一度だけあったのです。
その時の指揮者がカラヤンで、ヴィオレッタを歌ったのがミレッラ・フレーニというソプラノ歌手です。
ミレッラ・フレーニといえば、オペラ界では知らない人がいないような有名なソプラノ歌手です。
最もその当時はまだ若かったと思いますが。
結果、オペラ椿姫でカラヤンとフレーニは、スカラ座の天井桟敷の人々からブーイングを浴びることになり、
その後しばらく彼女はスカラ座の舞台に立つことはなかったといいますから、
それくらい怖い天井桟敷の人たちなんですね。
ただ、ミレッラ・フレーニもブーイングをする天井桟敷の人たちを睨みつけたとか、なかなか強いです。
そこから約30年間スカラ座から椿姫の上演はなくなることになり、
マリア・カラスの呪いと言われたりしました。
というのもマリア・カラスが演じていたオペラはことごとく失敗するということが続いたんですね。
そうはいってもマリア・カラス自身もブーイングを受けています。
確か、ガラコンサートの時にヒューヒューという口笛を鳴らした観客がいたことに腹を立てて
こんな人たちの前で歌えない!と舞台から出て行ってしまったことがあったと思います。
とはいえ、マリア・カラスはやはりずば抜けて上手だったのは確かでしょう。
エキゾチックな容貌で低温から高温までの安定した声と、
超絶技巧もこなすというパーフェクトな歌手で、演技も抜群でしたから。
ただ、スカラ座には当時人気を二分していたレナータ・デバルディという歌手もいたんですね。
こちらはまた高貴で品のある美しいソプラノ歌手で、
マリア・カラスとは対象的なタイプだったので、マリア・カラスといえどもブーイングを受けていたのかもしれません。
それに、いくら大スターだからと言って人間なんですから常に完璧にこなすなんてそもそも無理だと思うのですが、スカラ座はそれが求められてしまう場所ということもあるんでしょうね。
(天井桟敷への入り口・通常の入り口とは違います)
スカラ座の椿姫の再開
さてそれから30年後の確か1992年頃にやっと椿姫がスカラ座で再開されることになったのですが、
これだけ間をあけたのは、スカラ座の運営者がマリア・カラスの記憶が消えるのを待っていたとしか思えないですよね。
30年後のスカラ座の椿姫の上演の指揮者はリッカルド・ムーティで、ヴィオレッタを歌ったのはファブリッチーニという若いソプラノ歌手でした。
当時、椿姫を30年ぶりに上演するという話題はミラノでは相当なニュースだったのですが、
困ったことに30年も経っているにもかかわらず、マリア・カラスを忘れられないファンは多く残っていたんですね。
スカラ座の運営側は、どんなことがあっても絶対に失敗できないとして、
ブーイングを避けるために当日天井桟敷の席を封鎖しようとしました。
ところがそれがわかると、またしてもものすごいバッシングの嵐になったわけです。
最終的には天井桟敷の席も開けることにしたようですが、
実はそこの観客は劇場側が用意したさくらだったんじゃないかと言われてます。
それくらい神経をとがらせていたんですね。
ほんと大変なことです。
一応30年ぶりの椿姫は成功ということになっていますが、実はブーイングもあったようですけどね。
ファブリッチーニという歌手はデバルディのような美しい容姿で、この頃かなり有名になりましたが、そのあとはちょっとしぼんでしまった感がありました。
やっぱりいまいちだったのかなと、これは想像です。
(こちらも入り口・少し手前から移したところ)
スカラ座のロベルト・アラーニャのブーイング事件
30年ぶりのスカラ座の椿姫で恋人役をやったのは当時新進気鋭のロベルト・アラーニャというテノール歌手でした。
その後、彼は世界的なトップ歌手になるのですが、
その彼も今から約10年前の2006年、スカラ座でヴェルディのアイーダを歌った時に大ブーイングを浴びたんです。
アイーダの恋人役ラダメスのアリアを歌った後に起きた、ものすごいブーイングに、アラーニャは怒って
舞台から降りてしまいました。
そもそも、スカラ座の天井桟敷の観客たちがいくら耳が肥えているとはいえ、アラーニャほどの大物歌手にブーイングを浴びせることに驚きです。
アラーニャにまで!?という感じです。
彼が怒って舞台から降りてしまったので、慌てた控えの歌手(オペラの役には必ず控えの人がいます)は
着替える暇もなくジーパンのまま出てきて歌ったので、前代未聞の事件になってしまったわけですね。
ほんとにスカラ座という場所は、そういう意味では怖い場所です。
世界的に有名になっていたアラーニャの歌のアイーダでの出来がそれほど悪かったのか?と不思議ですが、
事前のインタビューか何かで、彼は、スカラ座で歌うのは闘牛場に入れさせられるのと同じだ
というようなことを言ってしまっていたんです。
ブーイングはその報復ではないかとも言われてます。
いずれにしてもスカラ座で歌うということは、歌手にとって至難の業なのでしょう。
ちなみに日本では古くは山路芳久さんというテノール歌手がスカラ座でドニゼッティの愛の妙薬を歌っていて、
もう少し後では、林康子さんという人が、蝶々夫人を歌っていますが、
日本人が、スカラ座で歌うということはそれくらいすごいことですよね。
たしか蝶々夫人の時の演出は、劇団四季の浅利慶太さんだったはずです。
真っ赤な布を使った、赤一面の床が印象的な演出だったと記憶しています。
私がたまたまミラノに行った際、浅利慶太さんが歩いているのを、見かけたことがあります。
よくミラノに行かれていたんでしょうね。
このようにスカラ座からブーイングを浴びて、二度と出なくなった歌手や、長い間遠ざかってしまう、という話はよく聞きます。
天井桟敷の人たちは
ここをどこだと思ってるんだ!
ここはスカラ座だぞ!
といった怒号までかけるらしいので、ファンといえどもそこまで行くとどうなのかなとも思いますけど
それだけイタリアのオペラは自分たちのオペラ、オペラといえばイタリアという気持ちが強く、妥協を許さないのかもしれません。
日本ではそこまで厳しいオペラファンはおらず、ちょっといまいちかな?と思うような人にも拍手を送っていますね。
だから日本で歌うのが好き、という歌手が多いのでしょう。
(スカラ座のショップ)
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