ジングシュピールとは、ドイツにおける地声のセリフや対話が入る音楽劇のことを言います。
ジング(sing)は歌、シュピール(spiel)は遊びとかゲームという意味で
もともとは大衆向けの娯楽の一つとして発達しました。
後にジングシュピールは、形を変えながらオペラの一形式になっていって、
ドイツオペラで地声のセリフが入るオペラを含めてさすようになりました。
ベートーベンのフィデリオのように重いテーマで大衆向け娯楽とは言い難いオペラも一応ジングシュピールの形式と呼ばれるようになるのです。
私などはジングシュピールというと楽しいオペラが浮かぶのですが、そういうものばかりでは無いんですね。
今回はそんなジングシュピールについて書いてみたいと思います。
バラッドオペラの始まり
ジングシュピールの元は18世紀のイギリスのバラッドオペラから始まっていると言われています。
バラッド(ballad)とは演歌、歌謡、ポピュラーソングという意味で、現在のオペラのような曲とは違い、
イギリスの演劇の一つのジャンルでした。
登場人物は主に下層階級の人たちや、犯罪者で
内容も、社会風刺を織り交ぜたもので、決して美しいとは言い難いストーリーでした。
犯罪者が中心人物になるなんて古いバロックオペラの頃なら全く考えられない設定ですよねえ。
バラッドオペラの特徴は、風刺的なセリフと短い歌で、
歌は民謡や童謡・クラシックなどもともとある音楽を入れ込んでアレンジする形式でした。
これってなるほどねと思いませんか。
初めて見る人にも耳に馴染みのある音楽が出てくるわけですから誰にでも聞きやすかったんだと思います。
このようなバラッドオペラの流行の裏には形式的なイタリアオペラへの反発があったと言われています。
18世紀のヨーロッパはバロックオペラの時代で、中でもイタリアオペラがその中心となっていた時代なのです。
当時のイタリアオペラは、英雄や伝説、貴族を美化した形式的なお決まりのオペラになっていて、それを快く思わない庶民の人々が多くいたことは容易に想像できる気がします。
はっきりいって似たような内容が多いし、イタリア語でよくわからないし、つまらないと感じていた人が多かったんでしょうね。
さて、バラッドオペラで特に有名なのがベガーズオペラ(乞食オペラ)です。
ベガーズオペラは、
- ジョン・ゲイが台本
- ヨハン・クリストフ・ペープシュが編曲
で1728年に作られた音楽劇ということになっていますが、
全曲ペープシュが書いたかどうかわわかりません。
ペープシュという人はドイツ生まれで宮廷の仕事に就いていた経歴もある作曲家です。
当時のバラッドオペラは、上に書いたように既存の音楽をさまざま入れ込むのが当たり前になっていたのですが、
おそらくオリジナル性を持たせ、音楽的に高めるためにドイツ生まれの作曲家ペープシュに頼んだのではないかと思われます。
バラッドオペラは人気になるにつれ、徐々に一つの作品のために作曲されて、オリジナリティを持つようになっていったようです。
中でも盗賊が主人公で悪人ばかりが登場する「ベガーズオペラ」が当時大流行したんですね。悪人ばかりが登場って今聞いてもおもしろそうだなと思いますよね。なんかワクワクするというか、なんでだろう。
そしてバラッドオペラは海を渡ってドイツにも行きます。
ちなみにベガーズオペラは、日本でも比較的最近ミュージカルとして上演されていたと思います。
一方イギリスでのバラッドオペラは、風刺的な内容な強かったため度々検察の対象になったようで、
18世紀中頃から衰退していきます。
衰退の原因が当局の規制のせいなのかどうか、詳細は残念ながらわかりませんが
上演禁止となることも多かったようなので原因の一つではあったのでしょう。上演禁止のものこそみたい気もしますが‥。
ドイツのシングシュピールの原型
さて18世紀の中頃、イギリスでは「The Devil to pay」というバラッドオペラが流行していました。
ベガーズオペラ後の人気バラッドオペラで、アイルランド出身のチャールズ・コフィという人の作品です。
当時ドイツに駐在していた、イングランドの大使の提案で、
このイギリスの人気バラッドオペラをドイツ語にして、ドイツでで上演することになったのです。
これも18世紀中頃のことでした。
こうしてドイツのジングシュピールの元祖とも言えるバラッドオペラがドイツに渡ってきたわけです。
ただ、モーツァルトが生まれたのは1756年で、
モーツァルトが最初のジングシュピール成功作を出すのは1782年の「後宮からの逃走」というオペラなので、
そこからすぐにモーツァルトに至ったわけではないんですね。
ドイツにイギリスからバラッドオペラが入り徐々にドイツの初期のオペラの形式である
ジングシュピールの形ができていったようなのです。
ドイツの初期のオペラの創始者と言われているのは、ドイツ出身の作曲家ヨハン・アダム・ヒラーという人。
ヨハン・アダム・ヒラーは1728年生まれで、作曲家、演奏家、そして指揮者でもあり、書物も出しています。
そしてヒラーは、地のセリフと対話が入った、ジングシュピールの原型オペラをドイツで多く作ったのです。
ヒラーは、イギリスから最初に入ってきた「The Devil to pay」についても
より高度というか、現在のオペラに近い形式に作り変えています。
このヒラーっていう人はそれまでは消極的だった女性の教育も行い、女性音楽家の台頭を促した人でもあります。
そしてヒラーは1781年、53歳の時にライプツィッヒのゲヴァントハウスの指揮者の座にもついています。
ずいぶんドイツ音楽の発展に貢献した人だったのねと思います。
もともとはイギリスでセリフ中心で民謡やポピュラーソングなど雑多な音楽で構成されることから始まったバラッドオペラが
→ドイツに渡り、→ジングシュピールと呼ばれ、時を経て豊かな音楽性を備えて行ったわけです。
そしてモーツァルトの時代がやってきます。
モーツァルトからグノーまで
ヨハン・アダム・ヒラーが基礎を作ったドイツオペラの原型の音楽性を高めたのは、やはりモーツァルトという天才でした。
モーツァルトが作ったオペラの中でジングシュピールとして注目したいのは、
の二つのオペラです。
モーツァルトはレチタティーヴォのオペラと、地声のセリフが入ったジングシュピール形式のオペラの、両方を作っているのですが、
この二つのオペラはジングシュピール形式のオペラなのです。
ちなみにモーツァルトのオペラのレチタティーヴォは、ほとんどが、チェンバロや、少数の楽器を使う、レチタティーヴォセッコと呼ばれる、バロックオペラから続く方式のレチタティーヴォです。
後宮からの逃走は、初演を聞いたヨーゼフ2世が「音符が多すぎるのではないか」と言ったのに対し、
「必要なだけの音符を使っている」とモーツァルトが答えた、という有名なエピソードが残っているのがこのオペラです。
「後宮からの逃走」は、今のトルコ当時のオスマン帝国が舞台で、異国情緒溢れる音楽が溢れる魅力的なオペラなのですが、
セリフが入るジングシュピールの形式になっているんですよね。
ジングシュピールのオペラとしては、約10年後にモーツァルトが作曲するオペラ「魔笛」の先駆け的作品と言えると思います。
魔笛はドイツのジングシュピールの中でも最高峰の音楽性と言ってよく、高度なアリアと隅々まで充実した豊かな音楽。
そして、その後にドイツのオペラ界に登場するのが、ベートーベンです。
ベートーベンは生涯で一つだけ「フィデリオ」というオペラを作っているのですが、
このフィデリオも、ジングシュピール形式のオペラです。
ただ、モーツァルトとの違いは、モーツァルトは軽快で楽しいストーリーであるのに対し、
フィデリオは冤罪で投獄された夫を妻が救い出す救出オペラという、非常に重いテーマであること
そして、フィデリオは、セリフがあるにはあるけれど、モーツァルトに比べると格段に少ないです。
もともとは大衆娯楽だったバラッドオペラがモーツァルトやベートーベンを経て、特別素晴らしいオペラになっていったわけです。
特にベートーベンの頃からは、セリフ以外の部分は古典的なレチタティーヴォは見えなくなり、音楽と劇が融合しつつあるのを感じます。
後のワーグナーを思わせる音楽です。
その後、ドイツにはシューベルトもいます。
数は少ないのですが、シューベルトもジングシュピール形式のオペラを作っているんですね(残念ながらほぼ上演されていませんが)。
そして、ウェーバーが現れて、ロマン派オペラの始まりと言えるオペラ「魔弾の射手」を作ります。
魔弾の射手もジングシュピールの形式です。
そしてワーグナーの時代になるとセリフはなくなり、アリアもなくなり、完全に音楽と劇が融合していくわけなんですね。
とっても走っちゃいましたが、がジングシュピールについてざっと流れを書いてみました。
セリフありのオペラってセリフだけ日本語にしたりすることもできるので、色々やりようがあっておもしろいと思います。
ちなみにフランスではセリフ入りのオペラはオペラコミックって呼びます。同じオペラでも国によって呼び方も違うんですよね。
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