鼻が無くなり勝手に動き出す/原作はゴーゴリ
今回は鼻が無くなって勝手に動き回るという奇妙なオペラ「鼻」についてです。
- 原作:ゴーゴリの小説「鼻」
- 作曲・台本:・ショスタコーヴィチ
- 初演:1930年
- 初演場所:サンクトペテルブルク ミハイロフスキー劇場
ショスタコーヴィチ作曲のオペラです。初演の時期を見てもわかる通りかなり新しい部類のオペラ。
オペラは時代とともにどんどん変化していってるのですが、現代になるほど不思議な作品が多くなる気がします。あくまで私の感想ですが。
この鼻というオペラは、おそらくあらすじを読んだだけだと「これは喜劇?もしくはオペレッタかなにかかな?」と思うのではないでしょうか。
でも実際に見てみるとあまり笑えない…
オペレッタという感じでもない…
しっかりと歌もあるからやっぱりオペラには違いない…
原作がゴーゴリだもんね。「死せる魂」の人だし。喜劇のわけないか…とか思ってしまった。
ショスタコーヴィチってすごく作品が多いんですよね。
交響曲も室内楽曲も声楽曲も、それに映画音楽もずいぶん作っているのです。
そんな中ではオペラは少ない方で、日本ではほぼ上演されない部類の作品。
オペラが少ない理由は「鼻」も風刺作品だけどそれに続く「ムツェンスク群のマクベス夫人」がスターリンの怒りを買ったのでその後ほとんど作らなくなったっていう事情もあるようなのです。
ちなみにそんなショスタコーヴィチですが、まさかのオペレッタを1個だけつくっているんですよね。見たことないけどちょっと興味あります。
この「鼻」というオペラはショスタコーヴィチの最初のオペラ作品です。
初演が1930年なのでショスタコーヴィチが24歳の時の初演。
その2年前に組曲を作っているので、作曲した頃はおそらく20歳そこそこ。若いです!
また、ゴーゴリの鼻と言う小説が発表されたのは1836年のことでショスタコーヴィチより時代は少し前のこと。ショスタコーヴィチはゴーゴリが好きだったらしいんですよね。
余談ですが、ゴーゴリが鼻という小説を書いたのは27歳の時で、ゴーゴリはプーシキンと少し時代がかぶっているんですよね。プーシキンを啓蒙していたみたいです。
オペラにはプーシキン原作のものは多いんですよね。エウゲニー・オネーギンとかスペードの女王とか。
で、ショスタコーヴィチっていう人は20世紀の大作曲家と呼ばれる一人なのです。
どういうところが大作曲家なのかとかそこら辺の音楽理論はよくわからないのですが(笑)この作品について言えばなぜわざわざこれをオペラに?とまず思いました。
鼻が別人格になってどこかに逃げ出そうとしているっていうおかしな話ですから。
ロシアのオペラっていうと時代背景が強く影響しているイメージなのですが、この作品ができた頃もスターリンが出てきた頃で、時代背景の風刺っていうのは大きくあるようなのです。
あと、ショスタコーヴィチはベルクのオペラも参考にしたらしく、それはなんとなく見ていて納得。ベルクのルルとかストーリーは全く違うけどなぜか似た空気を感じてしまう。
またショスタコーヴィチは、メイエルホリドっていう人の影響も受けているらしいです。
メイエルホリドっていうのはロシアの演出家で、当時のロシア(正確にはロシアソビエト連邦ですけど)過激というか挑戦的な舞台、演劇を行ってきた人で、その人の影響もあってこのオペラが生まれているのです。
だから当然、鼻というオペラは風刺のオペラなんですよね。どこらへんが風刺なのかは歴史にあまり詳しくないので、いまいちピンとこないのが私のダメなところなのですが‥。
メイエルホリドという人は実はのちにスターリンに処刑‥されてしまっているのです。そのことからもかなり過激だったのかなとは思います。
ショスタコーヴィチは無事でよかったのかもしれない。
いずれにしてもそんな不穏な時代背景があるわけです。
鼻あらすじ・鼻だけ別人格に!
原作は短編(短編にしては長め)小説なのですが、オペラはしっかり3幕まであって正味2時間程度あります。
軍隊組織の位階ってどうなってたの
その前にロシアの軍隊の官等について。この話には軍隊の位がちょいちょい出てきます。
鼻がなくなってしまう主人公はコヴァーリョフという8等官です。
この8等官っていうのは18世紀のピョートル1世の時代に決められた軍事組織の位のひとつなのです。
ロシアの軍事組織は陸軍も海軍も14の等級にしっかり上下関係が分けられていたんですよね。
さらにその下に下士官っていうのもありますけど。
物語の中でコヴァーリョフはそれなりに威張っていて、ポットチーナ親子に結婚してやるやらないみたいな上から目線なのをみると、独身で8等官っていうのはおそらくまあまあの位なのかなと。
一応9等官から貴族の部類になったらしいし。
そして無くなった鼻の方は5等官になるんですよね(笑)。当然5等官の方が位は上。
そんなことも風刺の一環なんでしょうか。
鼻の簡単あらすじ
床屋のイヴァンがパンを食べようとすると「鼻」が出てきて驚きますが、コヴァーリョフの鼻だと気づきます。きつい妻は「お客の顔を剃る時にあんたが鼻を引っ張ったんだろう!捨ててこい」と。
(鼻が出てきて驚くイヴァンはまだわかるけど、捨ててこいという妻がひどすぎる‥笑)
イヴァンは道で落としたふりをして鼻を捨てるのですが、通行人に気づかれたので、仕方なく川に投げ捨てます。でもその様子を怪しいと分署長に見咎められてしまいます。
一方コヴァーリョフは鏡をみて自分の鼻が無いことに気づき慌てて警視総監のところに行くと言って飛び出します。
大聖堂で祈る人々の中に、鼻が5等官になって入ってきてそこにコヴァーリョフもきて(警視総監のところに行くと言ったのになぜか大聖堂にいるんですよね)
鼻を見つけ「あなたは私の鼻ではないか?」と聞くものの鼻に逃げられてしまいます。(原作でも同様に聞いてますが、ありえなさすぎてここは笑える)
コヴァーリョフは警視総監が留守と聞いて新聞社に行き、鼻を見つけてくれた人に懸賞を出すというのですが、相手にされません(そりゃそうだわ)。
乗合馬車の停留所には旅立ちの人々。発車間際に鼻がやってきて乗って逃げようとするのですが、見つかって袋叩きになり、鼻は元の姿に。(なぜか警官たちは鼻を捕まえようと待ち伏せしていたんですよね。)
分署長は鼻をコヴァーリョフに返しにいきますが、鼻は元どおりくっつきません。
コヴァーリョフは、これは縁談を断ったポットチーナ夫人が恨んで魔女に頼んで何かしたに違いないと考えるのですが、それも違うようだとわかり‥。
突然鼻がちゃんと元どおりくっついたコヴァーリョフは大喜び。そしてイヴァンはまたコヴァーリョフの顔を剃りにくる(性懲りも無くというか、振り出しに元に戻った感じ)
最後はエピローグで、
このお話は奇妙で、なぜこんな話を作者が取り上げたのかが不可解、でも似たような事件は世の中にあるものですと締めくくって終わり。
鼻・音楽と見どころについて
このオペラはもともとマールイ劇場(小劇場)と呼ばれる小ぶりの劇場で上演されたようですが、確かに演劇的要素が多いので小さめの劇場の方がいいのかもしれないです。
オーケストラは重厚に厚く鳴るといういうより、いろんな楽器の音がひとつずつ順番に聞こえてくるっていうそんなイメージですし。しかも変わった音楽。
でも結構歌はしっかりあるのですが‥。
一番気になるのは演出かもしれないです。鼻の扱いをどうするのかっていうのが一番見どころですね。
パンから出てきた鼻をコヴァーリョフの鼻だとすぐにわかるのがそもそも不思議(なんでわかる?!)なのですが、どんな風にパンから出てくるのかがまず見どころかな。
あと、1幕最後の大聖堂の中で5等官の姿になって出てくる鼻がどんな風体なのか。
そしてコヴァーリョフが鼻を見つけるところが一番見たいところで見どころ。
原作では「コヴァーリョフは自分の鼻が祈ってるのを見つけ‥」とごくさらりとかいてあるだけなのですが、ここでもなんでわかるん?と思うし、鼻が祈ってるってだけでおもしろい。
「私は私であってあなたの鼻ではない!」と答える鼻もどんな顔して言うのか興味津々なところです。ちなみに原作ではここが変で、だから一番好きかも。
なんで鼻だけ偉くなるの?とか不思議がいっぱいでよくわからないけど、そんな鼻の5等官の衣装にも注目したい。
第2幕の2場と3場の間に[間奏曲]が入るのですが、なんならこれが私には一番奇妙な音楽でぐちゃぐちゃ感が最強、これ何?!っていう感じでした。
オペラの間奏曲の概念が崩れたかもしれない。なのでここも見どころ聴きどころ。変だけどまた聴きたいっていう感じかな(笑)
そのあとの2幕3場は従僕がバラライカを弾くところ。これがロシアっぽいところ。なのでここも聴きどころ。
ちなみにバラライカっていうのは三角のギターのような楽器です。
第3幕の停車場のシーンは原作ではあっさりなんですけど、オペラではここがなぜか割りと長いんですよね。
ここでイヴァンとピョートルが冗談を言い合うシーンがまた変わった音楽なので見どころ。
また同じく停車場でパンを売りに来た女性を「若い女だ!」とばかり警官たちがわさわさ取り巻くシーン、これは当時の警官の風刺なんだろうけど、ごちゃごちゃした音楽はこれがクラシック音楽っていうやつなんだろうか?と単純に思ってしまったところ。そういう意味で注目したい(笑)。
そして鼻が5等官から元に戻るところはどんな風に戻るか演出が見どころですね。
見つかった鼻をつけようとするけどつかないシーンは多分笑えるので見どころ。
全体にはストーリーを楽しむのか、それとも奇妙な音楽を楽しむといいのか実は不明です(笑)
当時これを見た人はどのシーンでどんなことを感じたんだろうか。
そして現代これを見るときは何を思ってどう感じればいいんだろうかと。率直にいってそんな気持ちになりました。
ショスタコーヴィチって結構聴きやすい音楽も多いと思いますけど、次のムツェンスク群のマクベス婦人でスターリンの怒りを買ってからこういう前衛的な作品が少なくなっていったらしいんですよね。
そういう意味では鼻のような初期の作品は貴重なのかもしれません。
それにしても一度取れちゃった鼻だからもう一度逃げ出すこともあるんじゃないの?と思ってしまうのは私だけなのかな(笑)。
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