パリのオペラ座では19世紀にグランドオペラという豪華絢爛な時代がありました。
当時のパリオペラ座にはスター歌手たちがいて、中には華やかだった反面悲しい運命を辿ってしまった歌手もいたんですよね。
今回はスターの座を追われて投身自殺してしまったアドルフ・ヌーリという人についてです。
いつの時代もスター歌手はいるけどグランドオペラのスターってどんな感じ?
スター歌手と呼ばれるオペラ歌手っていうのは、いつの時代にもいるんじゃないかと思います。
例えば今ならパッと浮かぶところで、フロリアン・フォークトとかアンナ・ネトプレコとかファン・ディエゴ・フローレスとか。
ちょっと前には三大テノールといってパヴァロッティ、ドミンゴ、カレーラスなんかもスター歌手って言っていいんじゃないかと思います。
世界中で引っ張りだこの歌手っていますよね。
日本だと、誰かなあ、よく出ているイメージだと福井敬さんとか妻屋秀和さんとか女性では砂川涼子さんなどなど‥よく名前を見かけるという感じがします。(あくまで私の感想です)
さて、パリオペラ座のグランドオペラの全盛期にもやっぱりスター歌手がいたようなんですよね。
オペラって初演はいつで、誰がその時歌ったかっていうのは結構大事に記録で残っているんですけど、そういうのを見ていくと、
「初演は当時大人気の歌手の◯◯と◯◯等で固めていて‥」
みたいな記述がちょいちょい出てくるのです。
そしてそのスター性はおそらくですけど現代の歌手のそれよりずっと注目度とかスター性が高かったんじゃないかと思うんですよね。
あくまで私の想像ですけど。
と言うのもグランドオペラって19世紀の中でも1820年頃〜1870年頃が全盛期と言っていいと思うのですが、
当時はイタリアの名だたる作曲家ロッシーニとかドニゼッティとかヴェルディ、それにドイツのワーグナーまでもよばれて、パリオペラ座のためにオペラを作っているんですよね。
しかもグランドオペラのスタイルに合わせて作っているのです。
この時代を指して「オペラ史上の最高峰」とも言われたりするくらいなのですが、そんな時代のスター歌手なわけです。
豪華でお金のかかる舞台、長時間のオペラ、それに何より歌手に求められる技術も超がつく難しさでそれは大変!。
パリに限らずヨーロッパ中が注目するような場所と時代だったでしょう。
思ったよりずっと技術が高い・パリオペラ座の歌手たち
実はグランドオペラを見るまでは昔の歌手は今と歌い方も違うらしいし、いろいろ研究されて今があるのだから、今の歌手の方がだんぜんうまいんじゃないの?くらいに思っていたので、
私は19世紀の歌手なんて実はそれほど興味がなかったんですよね。
その気持ちが変わったのは、グランドオペラを実際に見てからです。
とにかく主役級の役は大変な難役。難しいし、長丁場の舞台、歌い続け。
これをこなしていた初演当時の歌手って半端ない技術と体力じゃないの!?って思ったわけです。
今の時代にグランドオペラがあまり上演できないのは、舞台に費用がかかるのもあると思いますが、
まずこれらが完璧にこなせる第1級の歌い手を集めるのはかなり至難の技だろうなと思うのです。
ところが当時はすごい歌手たちがいたようなんですよね。
しかもよく見るとパリオペラ座の初演にはかなり同じ歌手の名前ばかりでてくるのです。
その一人がアドルフ・ヌーリというテノール。
まさにパリオペラ座のグランドオペラ時代のスター歌手の一人だったんですよね。
アドルフ・ヌーリという大スター
アドルフ・ヌーリは1802年フランスのモンペリエという場所で生まれた人です。
モンペリエっていうのはパリよりもかなり離れていて、ずっと南の方、カルカソンヌとマルセイユの間あたりです。
私が最初にアドルフ・ヌーリの名前を知ったのはマイアベーアの悪魔のロベールで初演のロベール役をやっていたのを知った時でした。
悪魔のロベールの初演は1931年なのでアドルフ・ヌーリは若干29歳なんですよね。若い!
でもこの時すでに彼はオペラ座でかなりスターだったようなのです。
1826年ロッシーニのコリントの包囲(パリオペラ座)にも出演していて、このオペラはグランドオペラではないのですが、ロッシーニがナポリのサンカルロ劇場で初演した作品の改訂版なんですよね。
若干24歳で当時大人気だったロッシーニのオペラに出ているのです。
そして1827年やはりロッシーニのモーゼとファラオにも出ていてロッシーニとかなり強いつながりがあったみたいなのです。
アドルフ・ヌーリが出ているパリオペラ座の初演作品をざっとあげてみると
- 1826年 コリントの包囲 ロッシーニ作曲
- 1827年 モーゼとファラオ ロッシーニ作曲
- 1827年 マクベス バティスト・シェラール作曲
- 1828年 ボルティチの物言えぬ娘 オベール作曲
- 1829年 ウィリアム・テル ロッシーニ作曲
- 1831年 悪魔のロベール マイアベーア作曲
- 1833年 グスタフ3世 オベール作曲
- 1833年 アリババ ケルビーニ作曲
- 1835年 ユダヤの女 アレヴィ作曲
- 1836年 ユグノー教徒 マイアベーア作曲
- 1837年 ストラデッラ 二デルメイエール作曲
この中でグランドオペラとよばれるものは
ボルティチ、ウィリアムテル、悪魔のロベール、グスタフ3世、ユダヤの女、ユグノー教徒、ストラデッラあたり。
20代から30代前半という若さでオペラ史上と頂点ともよばれるパリオペラ座のこの時代に、これだけの初演作品に出ているわけですから、すごいことだと思うんですよね。
それぞれのオペラが初演から何回上演されたのか、代わりの歌手がいたのかなどその辺まではわからないのですが、
少なくともかなり歌い続けていたんじゃないかと思います。
現代のオペラ界のスター達をみると、若い人ももちろんいますけど、最も脂がのるのは40代以降っていわれたりするので、スターと呼ばれる人は結構大御所だったりするんですよね。
現代だと20代なんてまだひよっこ、駆け出しっていうイメージだと思うのです。
グランドオペラ時代のスター歌手は若手の歌手がバリバリに歌っていたんですねえ。
ファルセットから胸声に・スターの座を追われるアドルフ・ヌーリ
ところがそんな大スターだったアドルフ・ヌーリはスターの座を追われてしまうんですね。
たしかに1838年以降ぱったりとアドルフ・ヌーリの名前がパリオペラ座の舞台からなくなっているのです。
彼が追われてしまった理由の一つには声の出し方に問題があったようです。
当時のテノールは高い声を出す時にファルセットつまり裏声を使っていたらしいのです。
ところが胸声で高い音を出す今と同様の声の出し方をする歌手が現れて、一躍人気になってしまったのです。
実際にどんな声だったのかは昔のことだしわからないのですが、胸声の高音というと私などはパヴァロッティの高い声を浮かべちゃいますね。あれはファルセットの声じゃないと思います。
おそらくですけど胸声の方が力強い高音なんじゃないかなと。
ちなみにヌーリの声はまろやかで強力な声だったらしいのですが。
ヌーリの代わりに登場したのはギルバート・デュプレというテノールだったんですよね。
1838年のアレヴィのグランドオペラにはこの人の名前があって、ヌーリの名前はありません。
理由は声の出し方だけじゃないと思うんですよね。
どうもそれ以前の上演でヌーリには声が出ない失敗や、急なキャンセルなどもあったようです。
それに、勝手な想像ですけど支配人の立場を考えれば、10年以上も同じスターだけだと、スター歌手の負担が大変で疲労もするだろうし、観客だって新たなスターが欲しくなるのは当然の流れじゃないかと思うんですよね。
意気消沈したヌーリは、それでも再起をはかるんです。ドニゼッティと一緒に。
オペラポリウトとヌーリの投身自殺
アドルフ・ヌーリはデュプレのような胸声を習得するためにイタリアに行くんですよね。
そこで、ドニゼッティがヌーリのためにオペラを作るといったのです。
それがポリウトというオペラ。
ああ、それなんだ!と私などは思いました。細い糸が一つつながったような。
「連帯の娘」っていうオペラのところでもちょこっと触れたんですけどポリウトって検閲で引っかかってイタリアで上演できなかったいわくつきのオペラなんですよね。
ポリウトはナポリのサンカルロでアドルフ・ヌーリで初演されるはずだった、つまりそこでヌーリは再起をはかるはずだったのに、その夢も潰えてしまったわけなのです。
そしてそのあとアドルフ・ヌーリはホテルから投身自殺してしまうのです。なんとも悲しい‥。
若干37歳でした。
ただ、その前のコンサートでも調子が悪かったというし、実はアルコール依存症になって肝臓も悪くなっていたというので、声の限界は来ていたのかもしれないし本当のところはわからないです。
ドニゼッティがその後イタリアからフランスに居を移した理由は、何度かオペラが検閲に引っかかって嫌気がさしたからと思っていましたが、
もしかしたらヌーリの自殺もあったのかも。
ちなみにポリウトはその後1840年にパリオペラ座で「殉教者」と改編して上演されることになります。
その時に演じたのが誰だったのかな。
いずれにしても、長い間スターだった全盛期のヌーリの歌声はおそらく多くの人々を魅了するものだったのだと思います。
でもあのグランドオペラを何度も何度も歌ったのだとしたら、さぞかし喉には負担だったんじゃないかと、そんな気もします。
またヌーリに歌を教えた人の中に、あのマリア・マリブランの父の名前があったというのもちょっと興味深いことでした。少なくとも二人のスターを作っているんですね。
長くなっちゃいました。読んでいただいた方ありがとうございます!
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