グランドオペラの歴史って規模が大きいだけのオペラじゃない

グランドオペラというのは、文字から想像できるように基本的には規模が大きくで壮大なオペラという意味ですが、時期とか形式とかグランドオペラ特有のものがありました。

グランドオペラが流行った時代というのは主に18世紀の後半から19世紀の前半が中心で、

場所はフランスのパリで流行したオペラの形式なのです。

そしてそのほかにも特徴があるんですよね。

 

グランドオペラの形式

 

イタリアの作曲家、ヴェルディのアイーダがグランドオペラが呼ばれることがあります。

壮大なオペラということでは、間違いではないと思いますが、アイーダはパリオペラ座のために作られたオペラでもないし、本来のグランドオペラとは実はちょっと異なります。

ただ、現代において上演されるオペラの中に、本来のグランドオペラはほとんど無く

アイーダはオペラの中では重厚で壮大であること、

またアイーダは、パリのグランドオペラの形式を取り入れていて、その技術を継承したオペラだったことなどから

ヴェルディのアイーダがグランドオペラの代表のように言われることもあります。

 

19世紀初頭、ナポレオン支配下のパリはオペラにおいてもフランスの中心地でした。

ナポレオンのお気に入りの音楽家は何人かいたようですが、グランドオペラの原型を作ったのは

フランス出身で1782年生まれのフランソワ・オベールと言われています。

オベールというと、現在のフランスの地下鉄にオベール駅というのがありますね。

オベールはかなりの数のオペラを作ったのですが、現在上演される演目

残念ながらほとんどありません

 

そして、その後グランドオペラを確立したのは、ジャコモ・マイアベーアというドイツ人の作曲家です。

彼の代表作は1836年に初演された、「ユグノー教徒」。

全5幕からなる長大なグランドオペラです。

 

ジャコモ・マイアベーアという人は、ドイツとイタリアの両方のオペラを勉強し

たのち、豪華絢爛なグランドオペラの形式を確立していくのです。

 

マイアベーアという人は裕福な生まれだったと言いますから、豪華なオペラの発想はやはりそんな生まれも影響しているのでしょうか。

マイアベーア自身の名前はそれほど有名ではないし、オペラもほとんど上演されないのですが、その名前はオペラを見ているとかなりちょいちょい登場します。

例えば、ワーグナーのタンホイザーのパリオペラ座版はマイアベーアの形式を真似たものだったとか。

そのため私などは、パリオペラ座といえばマイアベーア、グランドオペラといえばマイアベーアという感じで、この人の名前が浮かんでしまいま。

 

さて、グランドオペラの特徴といえば、ただスケールが大きいというのではなく具体的に言うと

  • 全5幕、時間が長い。
  • 2幕あるいは3幕にバレエが入る。
  • 大規模な合唱
  • 演出が凝っている
  • 異国情緒がある

と言うようなことだと思います。

現在上演されるオペラで5幕まであるものはほとんど無いです。

長大なオペラの上演は、主催者側も大変ですが見る方も大変ですよね。

時間的に長すぎて厳しいという物理的な問題が、実はもっとも大きいのではないかと思います。

ワーグナーのように長くても熱狂的なファンがいる場合は別ですが‥。

 

マイアベーア作曲のユグノー教徒は5幕で約4時間程度ですから、各幕間に休憩が入れば

合計で6時間弱にはなるのではなるとおもいます。やはり長い‥。

 

というのも現代のオペラ鑑賞は、最初から最後までお行儀よく座って、ジーッとして、見なければなりませんから、

さすがにきついのではないかと思います。

 

19世紀前半のグランドオペラの時代の鑑賞の仕方って、バレエのシーンに間に合うように、ぞろぞろと来ていた人も多かったようなのです。

 

グランドオペラは、舞台に立体感が出るような明暗の装置や技術も駆使されていたようで

そのため上演の準備にもとても長い期間を要したといいます。

フランスのグランドオペラの代表的なオペラ

  • ユグノー教徒(マイアベーア作曲)
  • 悪魔のロベール(マイがベーア作曲)
  • ユダヤの女(フランソワ・アレヴィ作曲)
  • トロイの人(ベルリオーズ)

など。

いずれも全5幕の長大なグランドオペラです。

 

グランドオペラの歴史

 

パリオペラ座とイタリア座

18世紀末から19世紀前半にかけて、フランスのパリには主に3つの劇場がありました。

  • パリオペラ座
  • イタリア座
  • オペラ・コミック座

です。

オペラ・コミック座では、セリフが主にセリフが入ったオペラの上演が行われました。

そして、イタリアオペラを中心とする伝統オペラは、イタリア座の方で上演されました。

グランドオペラが上演されたのは、この中でパリオペラ座です。

 

パリオペラ座は、壮大なグランドオペラができるような装置もあり、舞台の奥行きや幅も大人数が収容できるような規模になっていたんですね。

フランスでは、18世紀以前はオペラは主に王侯貴族たちが鑑賞するものでした。

 

ところが、イギリスで18世紀後半に始まった産業革命がフランスにも影響を及ぼし

19世紀以降、オペラを鑑賞するのは資産家や経営者、金融関係の裕福な人たちだったんですね。

 

特に派手なグランドオペラを好んだのは、これらの新興ブルジョワジーと呼ばれる資産家達でした。

新興ブルジョワジー達は、昼間は仕事をしていますからオペラの開始時間もそれに合わせて遅くなっていったといいます。

18世紀まではオペラの開始はPM5:00が基本でしたが、

その後PM6:00になり、→PM7:00になり、→現在のPM8:00に変わっていきました。

今でもヨーロッパ全体として夜の8:00始まりがあるのはそのためでしょう。

 

始まりが遅い上に5幕まであって時間が長いとは、夜に強いというか帰りの時間が大変ですよね。

もっとも終電に間に合うように調整はされていたようですが‥。

日本では平日は、PM7:00開始がほとんどですが、それより遅くはしないでもらいたいです。

 

そんな流れをよく思わなかった元貴族たちは、伝統的なイタリアオペラを愛し、

パリオペラ座には足を運ばなかったと言います。

そしてイタリアオペラは、パリのイタリア座という劇場で上演されていたんですね。

 

元貴族たちが、けばけばしたグランドオペラをバカにしていた様子は容易に想像できます。

イタリア座にしか行かなかったのでしょう。

 

もっともそう思われても仕方がないところもあります。

パリオペラ座のグランドオペラには必ず、2幕か3幕にバレエが挿入されるのですが、

パリのオペラ座には定期会員が入れる楽屋があり、会員達はそこでおめあての踊り子を探す楽しみがあったのです。

 

バレエの時間に間に合うように遅れて劇場に入る男性や、中には公演後の逢瀬を楽しむ人もいたとか。

ドガの絵に、踊り子を覗いている絵がありますがそれなどは実はそういうシーンですよね。

昔は、単純に踊り子の絵だと思っていましたがそんな裏があるとは、という感じです。

 

少し後のチャイコフスキーの時代になると、バレリーナ達の地位はとても上がりましたが、

この頃はまだそうでは無かったのかもしれません。

 

またパリのオペラ座では、オペラの最中にいろんなところで拍手をしてもいい風習があったようですが、

イタリア座の方では、拍手はアリアの後と幕が終わった後という決まりのようなものができていました。

現在のオペラの拍手のタイミングは、イタリア座のやり方に即しているわけです。

 

どこでも拍手をしていいとなると、途切れる感じがあるのでこれについては結果としていい形になったのかなと思います。

 

グランドオペラとヴェルディ

 

パリオペラ座ではイタリアオペラの作曲家に作曲を依頼したり、

元々あるオペラをグランドオペラ形式に変えて上演していました。

当時イタリアオペラ会で不動の地位にいたロッシーニもそうです。

 

ロッシーニの最後のオペラ「ウィリアム・テル」オリジナルはフランス語で、パリオペラ座用にグランドオペラ形式になっています。

また、パリオペラ座はヴェルディにもグランドオペラの創作を依頼しています。

  • シチリア島の夕べの祈り
  • ドン・カルロ

がそれです。

長大なので、現代ではなかなか上演の機会がありませんが、

5幕からなるグランドオペラ形式になっています。

 

この二つについては、残念ながら映像でしか見たことがありませんが、

シチリア島の夕べの祈りには美しいアリアがありますし、

またドン・カルロは長くても飽きない感動的なオペラなので、いつか生で見る機会に恵まれればと思います。

 

また、パリオペラ座は既存のオペラもパリオペラ座のグランドオペラ風に作り直して上演しており、

ヴェルディのオテロの上演では元々無かったバレエを入れ、

モーツァルトのドン・ジョバンニは2幕から→5幕に引き伸ばされ、これにもバレエが付け加えられたんですね。

 

ワーグナーのタンホイザーまでもがパリオペラ座の公演においてはフランス語になり、バレエが入ったのだから、なんとなく不思議というか、

今考えるとかなり強引な気がします。

 

さすがにワーグナーは、2幕にバレエを挿入することはオペラの進行上そぐわないとして、バレエを最初に入れたのですが、

これに対しては、妨害もあり大失敗に終わってしまったのだそうです。

 

とはいえ、ワーグナーはそれより前にリエンツィというグランドオペラ形式のオペラを作って成功しています。

 

リエンツィの初演は、パリオペラ座ではできませんでしたが、フランスのグランドオペラに触れたことは

のちのワーグナーの長大なオペラ構想の元になったではないかという気がします。

 

グランドオペラは、19世紀後半から徐々に人気がなくなっていきます。

大きな理由は、費用がかかりすぎることだったようです。

華やかのオペラも時には良いのですが、やはりオペラは形式よりも内容ということでしょうね。

フランスオペラの歴史

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