今回はフランスオペラの歴史についてです。
フランスのオペラを見ていくと、イタリアやドイツとはまたちょっと違う流れが見えて来る気がします。
パリオペラ座(広告が大きい…)
フランスのバロックオペラ
フランスオペラの原型とも言えるバロックオペラ。
フランスバロックオペラの歴史を作った作曲家としてまずあがるのは
- リュリ
- ラモー
の二人ではないでしょうか。
リュリは1632年生まれです。
生まれはフランスではなくイタリアのフィレンツェなのですが、14歳でフランスに行っています。
音楽家のことを見ていると、12歳や14歳で勉強のために移動したという記載をよく見かけます。
15歳まで皆が同じ内容の義務教育をうけている今の日本とずいぶん違うものですよね。
そしてもう一人のラモーは、リュリから約50年後の1683年の生まれ。
リュリの音楽の流れを継いでいる作曲家です。
さて、フランスバロック時代のオペラも、他の地域のバロックオペラと同様
主に古代ギリシャの神話や叙事詩を題材にした歴史オペラでした。
オペラはもともと、神話や叙事詩などを語り継ぐ手段の一つとして、生まれたんですね。
そしてストーリーは女神や妖精、王様達が登場するオペラです。
さて、この頃のオペラの音楽というのは、現在主に上演されているような、オーケストラがいるオペラとは異なり、
主にクラブサン(チェンバロ)が奏でる通奏低音によるものでした。
通奏低音というのは低音だけを示した楽譜で、奏者はそれを見て音をつけていくものです。
音の形式を表す記号として数字が添えられている楽譜もあります。
この通奏低音は現在もありますが、現在の楽譜とは異なるので音楽を専門にやっている人でも
通奏低音の勉強をしていないと弾くことはできないのだそうです。
さて、フランスのバロックオペラは、クラブサンやあるいはリュートなどの簡単な伴奏に合わせて、語るようにあるいは歌うように進む音楽劇のような形態でした。
この頃のオペラの特徴の一つとして、
- 現代上演されるオペラによくあるような、序曲がないこと
- プロローグとか除幕と呼ばれるものが、最初に来ること
- 登場人物が多め
ということがあります。
この頃のプロローグは時間も長くて、20分〜30分もあります。
この長さを見ても、劇としての意味合いが強かったことがわかると思います。
また、最初のプロローグに踊りまで入っていることが多いのは
踊り好きのフランスの特徴かもしれません(これは勝手な想像笑)。
また、登場人物が多いのも劇の要素が強いからでしょう。
さて、リュリのような神話や叙事詩的なオペラの形は意外に長く続き、18世後半まで続いていたようです。
フランスバロックオペラにおいては、イタリア初期のオペラと同様神話の復興という目的もあったと思います。
同時に、オペラというものが当時は王侯貴族の庇護のもとに作られるものですから、
王の尊さや、勇敢さを讃えるオペラが多かったのは当然のことなのだと思います。
さて、ヨーロッバ全体でみると長い間オペラの主流はイタリアでした。
言葉もイタリア語でなければならないという風潮があったのですが、
フランスでは比較的早い時期に、自国語のオペラを作っています(スペインのようにずっと独自路線の国もありますが)。
ヨーロッパには国ごとに多くの言葉がありますが、ほとんどのヨーロッパの言葉の語源がラテン語。
その中でフランス語は、現在聞いてもわかるように特有の発音に発展していくんですね。
現代でもそうですが、フランスという国の言葉に対する思いは強いと思うのですが、
オペラの世界でも同様で、フランス語のオペラが多く登場していくことになります。
さてそんなフランスですが、リュリに続くラモーは、音楽的な改革を試みた人でもあります。
従来の旋律重視から、和声を重視した音楽はのちの世の中では認められてきたものの、
当時は賛否両論だったといいます。
特に、思想家ルソーから痛烈な批判を受けています。
当時上演されたイタリアのベルコレージの「奥様女中」という幕間喜劇と比較しての批判で
「ブフォン論争」などとも呼ばれています。
ブフォンとはフランス語のブッフ(喜劇)から来ています。
ラモーのオペラは、当時の人々にとって、奥様女中のようにわかりやすい音楽ではなかったのかも。
ところで、ルソーと言えば教科書にも出てくるような哲学者で、思想家だった人物ですが
当時「村の占い師」という短いオペラも作っているんですね。
1752年のことです。
余談ですが、「むすんでひらいて」という童謡。
あれはルソーが作曲した曲です。かわいいわかりやすい曲です。
ルソーが作った「村の占い師」という1幕オペラはイタリアのブッファ(喜劇)の影響を受けて作ったと思われますが、
同様の短いオペラは、フランスのドーヴェルニュなどによってその後も作られ、
それは、のちのセリフ入りのオペラコミックやオペレッタにつながっていくのです。
ボルドーの歌劇場(パリオペラ座を作ったガルニエはこの劇場を見て触発されて作ったと言われています。特にパリオペラ座の豪華な階段はここがモデルとも)
(ボルドー歌劇場、これは新作オペラみたいですね)
グランドオペラの時代
19世紀に入ってナポレオンの帝政時代になると、フランスではオペラは伝統的なイタリアものと
派手なグランドオペラに分かれていきます。
フランス革命を境に王侯貴族の力は弱くなっていき、またイギリスの産業革命の影響もあり、あらたに裕福な資産家階級の人たちが出てきます。
そんな新興ブルジョワジーたちが好んで行っていたのが、派手なグランドオペラです。
言葉は悪いのですが成金は派手が好きということなのかなと。
グランドオペラは基本的にはフランス語上演でした。
そのためパリ・オペラ座の依頼で作られたオペラは、イタリアの作曲家でもフランス語で作っていますし、
元々あったオペラもフランス語で書き直して上演しています。
一方元貴族たちは、主にイタリア座という劇場でイタリア語のオペラを見ていました。
グランドオペラとはその名の通り、壮大な大掛かりのオペラです(と言っても技術的にはおそらく現在ほどのことはできなかったと思っていますが‥冷めてる笑)。
通常5幕まであり、必ずバレエが入り合唱は大人数で舞台は凝った仕掛けやセットがくみこまれていたと言われます。
このグランドオペラの基本形を作ったと言われる作曲家は1782年生まれのオベールという人。
現在ではほぼ上演されることのない作曲家ですが、オベールの当時の人気はすごく、何百回となく上演されたんですね。
残念ながら見たことはありませんが「フラ・ディアボロ」というオペラは映画化されています。
オベールに続いてでてくるマイアベーアはグランドオペラの第一人者ですが、
こちらも残念ながら日本ではあまり上演されることはありません。
代表作は「ユグノー教徒」。
5幕まである長くて手間のかかるオペラを、日本で上演するのは費用的にもなかなか難しいのかもしれません。
さて、19世紀前半のフランスオペラを見るときは、どこの劇場で上演したかということが重要だと思います。
ナポレオン帝政下においては、劇場によりどんなものを上演するのか、またどんなスタイルでやるのかといったことは、人数までもかなり細かく規定されていました。
演劇やオペラは人々の思想に直結するのでそこらへんは厳しく規制したのでしょう。
基本的にはパリには
- パリ・オペラ座
- イタリア座
- オペラ・コミック座
があり、それぞれの役割は決められていたんですね。
パリオペラ座はフランス語が基本のグランドオペラ。
イタリア座はその名の通り伝統的なイタリアオペラ。
そして、オペラ・コミック座はセリフ入りのどちらかというと軽めのオペラや音楽劇です。
この頃のオペラについては、初演された場所を見るだけでセリフ入りなのか、
グランドオペラなのかが想像つくのはそのためです。
そんなグランドオペラも、19世紀の後半になると徐々に衰退していきます。
大きな理由は
- とにかく費用がかかることと、
- 準備の日数がかかること。
そして、もう一つは、オッフェンバックに代表される
- 楽しい喜劇の方に人気が行ってしまった
のでした。
さて、フランスにはベルリオーズという作曲家もいます。
ベルリオーズはは1803年生まれで「トロイア人」という素晴らしいグランドオペラを作っているのですが、
彼がこれを作った頃は、残念ながらグランドオペラはもう衰退期にかかっていました。
おそらく人々もグランドオペラに飽きてしまっていたのでしょう(オペラもブームとか流行り廃れはありますね、イタリアオペラでいっとき狂乱ものが多いのもあれも流行りかと‥)。
「トロイア人」初演は1863年ですが、全部は上演されず、劇場もパリオペラ座ではなくリリック劇場というところでした。
そのころすでに喜劇のオッフェンバックは、ブフ・パリジャンという自分の劇場を立ち上げていますから、人気はオペレッタの方に行ってしまっていたのです。
ベルリオーズの「トロイア人」全曲が上演されるのは1890年のことで、
すでにベルリオーズは亡くなった後だったのです。
このベルリオーズという作曲家は自身で台本も書いているんですよね、それもすごいこと。
実は台本が得意のオペラ作曲家ってオペラの歴史を見ても少なくて、現代だとメノッティとか台本が得意ですけど古い時代は仕事が分かれていたのかそんなにいないのです。
あとレオン・カヴァッロも道化師を書いてるか‥。
あと有名なところではワーグナーも自分で台本を書いていますが、ベルリオーズもこの長大なオペラの台本まで書いていたということは
ベルリオーズの才能はもちろんのこと、このオペラへの思い入れが強くあったのではないかと思うのです。
ベルリオーズがもう少し早く生まれて、もう少し早く「トロイア人」を発表していたら‥
もっと今より歴史に残るオペラになっていたのではないかと思ってしまいます。
こちらはトゥールーズのキャピトル劇場です。(右は新作オペラのようです)
オペレッタの誕生とロマン派オペラ
グランドオペラの衰退とオッフェンバックの登場は、無関係ではないと思います。
オッフェンバックといえば、オペレッタ天国と地獄が有名。
彼は実はドイツ生まれで、14歳でパリにやってきます。
そして試行錯誤した末に古くなった劇場を買い取ってブッフ・パリジャンという自分自身のオペレッタ劇場を作るんですね。
そしてオペレッタ天国と地獄は空前絶後の大ヒットになります。
帝政下の劇場は上演人数なども細かく決められていたのですが、
おそらくオッフェンバックという人は機転がきいて商才もあったのだと思います。
ブッフ・パリジャンでの厳しい制約の中で、ゆかいなオペレッタを数々上演して、
結局はその規制まで無くさせているのです。
さて19世紀になるとヨーロッパでは多くのロマン派と呼ばれるオペラが誕生します。
ロッシーニをはじめとしてドニゼッティやベッリーニ、そしてヴェルディなどはその代表だと思います。
そして、フランスにおいてもロマン派の美しい旋律のオペラが登場します。
サンサーンスの「サムソンとデリラ」は壮大でオラトリオのようなオペラ。
サンサーンスらしい美しいメロディはロマン派と言っていいと思います。
また、ビゼーもカルメンを作曲します。
カルメンは最初に作った時はレチタティーヴォではなく、セリフが入ったオペラ・コミックタイプのオペラでした。
現在上演されているカルメンは、修正されたレチタティーヴォがあるオペラであることが多いです。
そしてマスネも登場してオペラ「タイース」や「ウェルテル」を作曲します。
タイースの瞑想は単独で演奏される美しい曲ですよね。ちなみにウェルテルの通称「オシアンの歌」はテノールの珠玉のアリア!私が大好きなアリアでもあります。
そして、トマの「ミニョン」も有名なアリア「君よ知るや、みなみの国」があります。
個人的にトマも好きですね。
そして、ロマン派代表と言えばやはりグノーでしょう。
グノーといえば、「アヴェ・マリア」が有名ですが、
オペラでは「ファウスト」が有名です。
アヴェ・マリアの旋律で想像できると思いますが、グノーの旋律は美しくとてもフランス的だと思います。
このファウストの初演は1859年ですが、前年の1858年からオッフェンバックが天国と地獄を大流行させています。
グノーが思ったほど有名にならなかったのは、オッフェンバックの陰になってしまったこともあるのかなと、思うのですが‥。
印象派から現代へ
オッフェンバックは多くのオペレッタを作りましたが、
その人気も19世紀後半になると、さすがに衰えてきます。
そして、オッフェンバックが起死回生をかけて作ったのがオペラ「ホフマン物語」。
こちらはオペラ・コミックでの初演。
そして今でも残る名オペラになっています。俺だってオペレッタだけじゃなくちゃんとしたオペラも作れるんだぞというところか‥。
そこはさすがと言う感じで、ホフマン物語は見どころの多いオペラ。
三つのお話をうまいことまとめた構成も珍しい試み。
オランピアというぜんまいじかけ人形が歌うソプラノアリアやしっとり系の舟唄が有名ですが、
個人的には第一幕の「クラインザッハの歌」が好きでこれを聞きたいためにホフマン物語を見にいくと言ってもいいくらい(笑)。
さてこの頃(19世紀後半)になると、劇場ごとの規制もゆるくなってきて、イタリア座ではイタリア語しかやらないというようなことも無くなってきました。
そしてその後フランスでは印象派と呼ばれる作曲家たちが登場します。
代表はドビュッシー。
ドビュッシーはイタリアやドイツにも行ってオペラを見たようですが、いずれにも馴染めなかったようです。
確かに彼の音楽はそのどちらとも異なるものを感じます。
特にワーグナーについてはアンチワグネリアンだったとか。
二人の音楽はどちらもとても美しいのですが、美しさの系統が違う気がします。
確かに水と油かもって思ってしまいます。
ドビュッシーは独自の音楽を作り出したといえるのでしょうね。
彼の代表作は「ペレアスとメリザンド」。不思議な物語ですがドビュッシーの音楽ならではという独特の世界を感じます。
そして20世紀はラヴェルも出てきます。
ラヴェルの「子供と魔法」というオペラは、題名は子供向けのように見えますが音楽はなかなかに大人向け。
ドビュッシーとも全く異なる音楽で、オペラとしてもちょっと斬新な作品です。
おもちゃが歌ったりしゃべったりするところは、お喋り好きのフランスを象徴しているかのようです。
20世紀のフランスオペラは、ラヴェルの子供と魔法を見ても
また、プーランクの「テレジアスの乳房」をとっても
とても個性的です。
フランスのオペラの世界は、なんとなく埋もれているオペラがまだまだたくさんあるという印象があります。
これからもっと注目されていくのではないでしょうか。
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