ヘルデンテノールとはテノールの種類の一つで
もっともドラマティックで、主にワーグナーを得意としている歌手のことを言います。
ヘルデンテノールとは
ヘルデン(Helden)とは英雄という意味なので、ヘルデンテノールは英雄的なテノールということになります。
英雄といっても、18世紀に盛んに作られたイタリアのオペラセリアに出てくるような英雄ではなく
主にワーグナーのオペラを得意とするテノールを指して言います。
ワーグナーの主要なオペラ(楽劇)といえば
- さまよえるオランダ人
- タンホイザー
- ローエングリン
- トリスタンとイゾルデ
- ニュルンベルクのマイスタージンガー
- ニーベルングの指輪・序夜・ラインの黄金
- ニーベルングの指輪・第一夜・ワルキューレ
- ニーベルングの指輪・第二夜・ジークフリート
- ニーベルングの指輪・第三夜・神々の黄昏
- パルジファル
で、これらのオペラ(楽劇)には全てテノールが出てくるのですが、
その中で、ヘルデンテノールが得意とする役は、
- タンホイザー
- ローエングリン
- ヴァルター(ニュルンベルクのマイスタージンガー)
- ジークフリート
- パルジファル
ではないかと思います。
さまよえるオランダ人の主役はバリトンなので入っていませんし
ラインの黄金には、英雄的なテノールはまだストーリー的に出現しないので入っていません。。
また、ワルキューレには、ジークムントという主役のテノールが出てきますが、
役柄的にもまた求められる声も、ヘルデンテノールとはちょっと異なると思うので、
外しました。
ワルキューレはストーリーもちょっとイタリアオペラ的で叙情的です。
プラシド・ドミンゴがジークムントはできるけど、ジークフリートはちょっと違うかなという
そんな感じでしょうか。
そういう観点からすると、ニュルンベルクのマイスタージンガーのヴァルター役も
騎士ではあるけど英雄とはちょっと言えないのですが、天衣無縫な役柄はジークフリートに通じるものがあるからか
ヘルデンテノールが得意とする役になっています。
ワーグナーのオペラは世界各地で上演されていて、多くのテノールが歌っているわけですが、
その全てをヘルデンテノールと呼ぶかというとそうでもありません。
最近は歌手が全員日本人と言う構成でも、ワーグナーの上演を行うようになりました。
2018年の東京春祭では、小原啓楼さんがローエングリンを歌いましたが、
小原さんをヘルデンテノールと呼ぶかというとちょっと違うかなと思います。
ヘルデンテノールと呼ばれる一つの目安は、やはりバイロイト音楽祭に呼ばれるということがあるのではないでしょうか。
バイロイト音楽祭は、世界中のワグネリアンと呼ばれるワーグナーファン達が注目している音楽祭です。
従って主催者はかなり歌手の選考には気を使っています。
目と耳の肥えたワーグナーファンが世界中から聴きに来るわけですしね。
もちろんバイロイトに出たからと言って一躍有名になるとは限りませんが、
ヘルデンテノールとしてのお墨付きをもらったとは言えると思います。
ちなみに、テノールではありませんが、2002年に日本人の藤村美穂子さんがバイロイトの音楽祭に日本人歌手として初めて出演すると聞いた時はとても驚いたものです。
最初はラインの黄金のフリッカ役でしたが、その後もバイロイトでの出演が続いているのはすごいことだと思います。
現在日本人でもっとも素晴らしいメゾソプラノの一人と言えるのではないでしょうか。
バイロイトに出るということは、それだけ難しいことだと思います。
歴代のヘルデンテノール
では歴代のヘルデンテノール歌手についてです。
ウォルフガング・ヴィントガッセン(1914年生まれ)
戦後最大のヘルデンテノール歌手といえばヴィントガッセンです。
ドイツ生まれのヴィントガッセンの、キリッとした風貌は英雄にぴったりで、声は艶のある明るめの声質のヘルデンテノール。
声からは高貴な雰囲気が感じられ、高音についてはスコーンと出るタイプではありませんが、
ヴィントガッセンの中音にはなんとも言えない魅力を感じます。
プッチーニから始まって、ジークムントも含め、ほとんどのヘルデンテノールの役をこなしていますが、
もっとも印象に残るのはビルギット・ニルソンと歌ったトリスタンとイゾルデ。
甘く切ないトリスタン歌手は他に無いでしょう。
個人的にはもっとも合うのは、トリスタンの他にはパルジファルではないかと思います。
ジークフリートはちょっと違うかなという感じがします。
ジョン・ヴィッカーズ(1926年生まれ)
カナダ生まれのジョン・ヴィッカーズはヴィントガッセンより約10年後に生まれます。
カルメンのドン・ホセから始まってヴェルディやベートーベンのフィデリオとともにジークムントやトリスタンを歌っています。
少しねっとりしたヴィッカーズの声は独特で、ドン・ホセをやった理由がわかる気がしますし
イゾルデと延々と繰り広げる愛のやり取りの、トリスタンもなかなか良かったです。
凛として高貴で神聖な、という雰囲気の人ではないので、ローエングリン、パルジファルというより
叙情的な役が合っていたと思います。
ジークムントや、ヴェルディのオテロなどを歌っていますね。
ブリテンのピーターグライムスも歌っていますが、ぴったりだと思います。
ルネ・コロ(1937年生まれ)
ドイツ生まれのルネ・コロは父親がオペレッタの作曲家だった影響で、
長くオペレッタの世界で歌っていました。
カールマンのマリツァ夫人や、オッフェンバッハの美しきエレーヌ(ドイツ語版)など多くの映像も残っています。
オペレッタ歌手からヘルデンテノール歌手に移行していったちょっと変わった経歴ですが
若い頃からの声を聞き比べると、彼の声が明らかに、重いヘルデンテノールに変わっていったのがよくわかります。
ルネ・コロは全てのヘルデンテノールの役をこなしましたが、その他R・シュトラウスや、ベートーベンのフロレスタンをやっていて、ルネ・コロという人の幅の広さを感じます。
強い声と、語尾を伸ばすときの振幅の多いビブラートは彼特有で、ルネ・コロの大きな魅力でもああります。
個人的にはルネ・コロで最も好きなのは、ヴェーヌスに抗えないタンホイザー役です。
ジークフリート・エルザレム(1940年生まれ)
ヘルデンテノール歌手はやはりドイツ出身者が多いのですが、
ジークフリート・エルザレムもドイツの出身。
もともとはオーケストラでファゴットを吹いていてオペラ歌手に転職したという、ちょっと変わった入り方の人です。
端正で知的な顔立ちで、ヘルデンテノールのどんな役でもできそうですが
顔が小さい人で舞台ではちょっと損かなと思います。
英雄顔だと思うので、純朴・武骨なジークフリートというより、
パルジファルやトリスタン、マイスタージンガーなどがとてもあっていると思います。
歌うときに微妙に顔が揺れる癖があるようですが、それも含めてもかっこいい人であることは確か。
リートなどを歌っても合いそうな雰囲気です。
ペーター・ホフマン(1944年生まれ)
ドイツ生まれのヘルデンテノール。
ロック歌手としても人気を博しましたが、ヘルデンテノールとしての彼の当たり役はやはりローエングリンでしょう。
品のある甘い歌声と、どことなく寂しげな風貌と演技は、ローエングリンにまさにぴったりで、
熱狂的なファンも多くいました。
ルネ・コロとジークフリート・エルザレムとペーターホフマンの3人は、年齢が近いので同時期に活躍しており、
20世紀の3大ヘルデンテノールと言えると思います。
ペーター・ホフマンのオペラ歌手としての活躍期間は残念ながらあまり長くなく、
その後パーキンソ病になってしまいます。
彼のローエングリンは伝説に残る名演でしょう。
ステファン・グールド
アメリカ生まれのグールドは、巨体をゆさゆさと揺らしながら、朗々と歌うヘルデンテノール。
その風貌は難なく大蛇を倒すジークフリートにぴったりではないでしょうか。
またベートーベンのフィデリオも彼に合っていると思いますが
ローエングリンやパルジファルという感じとはちょっと違うかなと思います。
実際に語るグールドの様子はおとなしく、とても穏やかな印象です。
彼もすでに50歳を超えているはずなので、いつまでヘルデンテノールの役を歌ってくれるのか心配でもあります。
ヘルデンテノールとしては役がちょっと少なめかなと感じますが、迫力ある声は一度聞いたら忘れられません。
フロリアン・フォークト(1970年生まれ)
現在最も油ののったドイツ生まれのヘルデンテノール歌手。
オーケストラのホルン奏者からの転身。
彼を始めて見た時は、ぺーターホフマンの再来かと思ったのは私だけでしょうか。
魔笛のタミーノから始めているのも、二人の不思議な共通点ですが
現在ローエングリンを歌ったら横に出る歌手はいないでしょう。
それくらい、フォークとの気品のある風貌と、丁寧な歌唱はとても心地よく響いてきます。
秘めた情熱を感じる深い歌声は素晴らしいものです。
また、生で聞いたことはありませんが、素直な役柄のマイスタージンガーのヴァルターもぴったりだと思います。
歌合戦の歌が出来上がっているところをぜひ聞いてみたいものです。
世界中で引っ張りだこなので、あと何回日本で見られるのかと今から心配してしまうほどです。
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