原作はプーシキンだけど‥
ボリス・ゴドゥノフっていうのはムソルグスキー作曲のオペラで、すごくロシアっぽい土の匂いがするようなオペラです。
時代背景が暴君イワン雷帝の後の暗い時代で、かといって戦さが出てくるわけでもなく軍記物ともちょっと違って、混沌とした感じのするオペラです。
そんなボリス・ゴドゥノフの原作を読んでみようと思ったのは、原作がプーシキンだったからです。
スペードの女王の原作もプーシキンだし、エウゲニー・オネーギンの原作も同じくプーシキン、そしてどちらもおもしろかったので、ボリス・ゴドゥノフの原作も同じようにおもしろいかな、
と思って読んでみたのですが、正直言うと上の二つに比べるとそれほど私にはピンと来なかったというか‥。
戯曲形式になっていることや、登場人物が多くてロシアの名前は覚えにくいということ、そしてグリゴーリーが→僭称者→ドミートリイと呼び方が変わっていくのであれ?っていう戸惑いがあったせいかもしれませんが、
全体に暗く、読み終わると「何が言いたかったんだろう‥」とよくわからなくなってしまいました。
ただこの感じ、この不穏な後味が暗い時代の雰囲気をそのまま表しているといえばそうなのかもしれません。
プーシキンの作品ってボリス・ゴドゥノフの原作のような戯曲もあるし
スペードの女王の原作のような短編小説もあるし、エウゲニー・オネーギンの原作のように韻文小説っていう類のものもあります。
さらに大尉の娘のように散文小説(こういうのが個人的には一番読みやすいんですけど)もありで、
近代文学の魁と言われるだけあって、いろんな形式の作品があるんですよね。
オネーギンの原作を読んだ時のように「美しい!」と感じる感覚は全くなくて、同じ作者?と思ってしまったほどでした。
とはいえそういうモヤモヤ感はオペラにも同様にあるなあと、それは思いました。
プーシキンがボリス・ゴドゥノフを書いたのは1831年です。
スペードの女王が1833年、オネーギンの完成が1832年、さらに大尉の娘が1836年と、
これらはそれほど年代が違わないのに、すごく作風が違うように感じてしまうのですが、色々書けるところがまさに天才だったのかもしれないです。
原作との違い・愛の二重唱は原作にはない
さて、全体の雰囲気としていうと、オペラは原作の雰囲気そのままで
最初の導入部分はボリスが皇帝になるのかならないのかという少しモヤモヤした感じではじまります。
歴史上の人物なので私の感覚だと、もっと見せ場とか大事件とかそういうのが入っている激動のオペラかなと想像するのですが、ボリス・ゴドゥノフってそういうオペラではないんですよね。
意外に静か。
原作でもそれは同じで、とりたててボリスを悪者にしているわけでもなく、かといって持ち上げているわけでもなく、そして偽ドミートリーの決起を待ち望んでいるかというとそうでも無い‥
そんな原作なのですが、だからこそ現実に近いというか、そういうことから土の臭いを感じるのかもしれないとも思ったのでした。
そんな中で緊迫するシーンもあります。
グリゴーリーの人相書きをもった役人がきて、捕まりそうになるところで、
グリゴーリーが自分の人相書きをみながら、口では別の人相を読み上げるのです。それがばれて逃げるところは唯一ドキドキするシーンで、それは原作もオペラも同じです。
また、オペラではボリスが幼いドミトリー皇子を殺してそのことを恐れているという筋が1本あるのですが、原作ではっきりとその辺の記述があるのかと思ったらそれは意外に無く、
それはむしろ一部分だけで、それよりも王であることの苦悩もろもろが交錯して悶々としているボリスがいました。
そしてもう一つ違いはオペラではプーシキンが出てこないこと。
原作ではプーシキンとプーシキンの甥という二人のプーシキンがでてきますが結構語っているんですよね、いろいろ。
でもオペラにはプーシキンはいなかったはず。
プーシキンって確かオネーギンの原作でも作者自身が出てきたんじゃなかったかな。そこらへんちょっとおもしろいです。プーシキンらしいのかも。
プーシキンという人物を出して、自分の考えを言っているんだろうかとちょっと思いました。
さて、原作とオペラで最も違うと感じるのはグリゴーリーとマリーナのシーンです。
原作の方ではグリゴーリーは純粋にマリーナが好きなのですが、マリーナの方は権力が好きで、グリゴーリーが偽ドミトリーになって皇帝になるかならないか、
自分が皇后になれるかどうか、それしか興味が無い打算的な女性です。
原作を見る限り全く魅力を感じない女性で、二人に甘い雰囲気はまるでなく、それどころか
あいつは「絡みつき、つべこべ言い、脅し、噛み付く蛇だ」とまで言ってます。
オペラの方でマリーナはちょっと心を入れ替えたようになっていて、
3幕2場では二人の愛の二重唱ももあります。
この部分については改訂版でそうなったのか、もともとそうなのかはわかりません。
そもそもボリス・ゴドゥノフはバス歌手が主役で、内容も地味だし、その上恋愛もなし、美しい女性も出て来ない、というのではオペラとしては確かに華がなさすぎるとも言えるので、二人が愛し合ってるというシーンに変えたのだろうか?
と、これは例によって勝手な私の妄想です(笑)
原作を読むとアリアがわかる
ボリス・ゴドゥノフの原作を読んでいて良いと思うのは、読み進めていくとここがアリアになるっていうのがわかることです。
読んでいくと
「わしは最高の権力を得た‥」と始まる部分があるのですが、ここの長大なセリフと深い言葉は読んでいてかなり心に刺さります。
そしてこれがオペラ第二幕のあの有名な「ボリスのモノローグ」になっているのです。
ここはアリアになっていたなあとわかるし
この部分をアリアにしたい気持ちも読んでいるとなんかわかる気がするのです。
ムソルグスキーっていう作曲家の気持ちに少し近づいた気がしてなんとなく嬉しいというか‥。
そういう発見も原作を読む楽しさかなと私は思いました。
戯曲の良さは、オペラで使われる言葉が原作に沿っている場合が多いので読んでいておもしろいこと、
そのままのセリフが使われていることも多いので、原作を読んでそれがオペラになっていると、楽しさは倍増かなと私は思います。
オペラを見ていて「ああ、原作にこのシーンあった」とか「このセリフあったなあ」って思えるんですよね。それが楽しい。
その点ボリス・ゴドゥノフの原作は長くないし、オペラはかなり原作に沿っているので読んでみるのがお勧めだと思います。
原作も微妙な終わり方
オペラの最後はボリスが死に、ドミトリーの軍がはいってきて、めでたしではなく
「これから暗黒時代がくる」と不穏な言葉が残りますが、
原作も微妙な終わり方です。
ボリスが死んで、偽ドミートリーの軍が宮殿に入ってくると息子のフョードルは毒を飲んで死んでしまいます。
それを確認してドミートリー万歳!と促しますが人民は
「黙して答えず」となっているのです。
うーん、何だろうこのモヤモヤ。
ロシアではこの後も別の偽ドミートリーが出現するし、暗澹とした状況が続くんですよね。
そんなことを含んだ最後なのかなと思います。
本当はもう少しロシアの歴史を勉強してから読んで、オペラも見るべきだったかなと思いました。
そしたらもっともっとこのオペラは深い物があるのかもです。
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