マノン・レスコーという小説の名前を知っている人は比較的多いかもしれません。
原作はアベ・プレヴォーというフランスの作家で1697年の生まれです。
1697年というとブルボン朝で、太陽王と言われたルイ14世の時代ですね。
今回なぜマノン・レスコーの原作本を読んでみたかというと、この作品で少なくとも3つのオペラが作られているので、原作はいったいどうなっているのか、
特に主人公のマノンってどんな女性なのか、オペラとどう違うんだろうということに興味を持ったからです。
マノン・レスコーのオペラ
同じ題材でオペラを作るというのは珍しいことではなくて
例えばボーマルシェ原作の「セビリアの理髪師」は今はロッシーニのオペラが有名ですが、
実際には8個以上もあったと言われているんですよね。
現在上演されているオペラって同じ題名のものってほとんどないんですよ。
少なくとも私が知っている限りではですが。
そんな中でマノン・レスコーはマスネとプッチーニの作品がどちらも同じくくらい有名なんですよね。
そういう作品って本当に少ないです。
ちなみにオーベールっていう人もマノン・レスコーっていうオペラを作ったんですが、こちらは少なくとも日本ではほとんど知られてないかと‥。
そしてその他にももしかしたら同じ題材でオペラがあった可能性は高いんじゃないかと思います。
この三人のオペラの順番は
- オーベールの「マノン・レスコー」1856年初演
- マスネの「マノン」1884年初演
- プッチーニの「マノン・レスコー」1893年
となっています。
オーベールのマノン・レスコーもそこそこ人気だったらしいのですが、マスネのマノンが出てきてそちらに人気が移行したということみたいですね。
どちらもフランスの作曲家で、オペラコミック座の初演というのも共通。
同じ題材だとどうしても良い方だけが残るのは当たり前の気がします。
ところがプッチーニがマノン・レスコーを発表してもマスネのマノンは残り続けているんですよね。
だからこれって珍しいなと思うわけです。
どっちも良いっていうことですよね。
3人の中でオーベールは1782年生まれの人なので、少し時代が古いのですが、
マスネとプッチーニは国は違っても二人は同じ時代を生きています。
プッチーニが同じ題材でオペラを発表したことはもちろんマスネも知っていたと思いますが、
それってどういう風に思っていたのかな、などと余計なことまで考えちゃいました。
もっとも同じ題材でオペラを作るっていうのは今と違って普通によくあったことだったらしいですけどね。
オペラのマノンという女性
オペラで見ると、マスネのマノンもプッチーニのマノンも魅力的な女性だけど同じではないんですよね。
マスネのマノンはうぶなマノンが二人だけの幸せな時を過ごし、そのあとお金持ちのパトロンの元で豪華な大人の女性になり、そして落ちぶれていく様、そのコントラストがとても印象的なオペラでおもしろいのですが
マスネのマノンからは享楽的な性格はあまり見えてこないんですよね。
一方プッチーニのマノンは宝石に目がくらんで逮捕される様子は贅沢を好むマノンの性格がよくわかる一方で二人が愛し合っている感じが薄く、なぜデグリューがそこまでマノンに溺れるのか不思議な気がしていました。
つまり二つのマノンはちょっと違うタイプに描かれているんですよね。
でもって原作のマノンっていう女性はどうな女性かっていうと、私なりに一言でいうなら、
「娼婦の心を持つ妖精のように可憐な乙女」
こんな感じです。
まずオペラの印象とかなり違うのは原作のマノンはとても若いということ。
確かデグリューと出会った時は16歳だったかと。
つまり少女なのです。
もちろんオペラは70歳になっても20歳の役をやることは珍しくない世界なのですが、
熟練のオペラ歌手が演じると原作のイメージとは離れてしまう、というのは正直な感想です。
とはいえ、この原作を元に舞台にするにしてもオペラにするにしても16歳の少女が演じるってなかなか難しいと思うんですよ。
じゃあどうやってマノン・レスコーを表現するのかとなると、やっぱり音楽の力をもって表現するしかないかもと思うんですよね。
マスネの流麗な音楽や、プッチーニの情熱の音楽はやはり伝わってくるものが大きいと思うのです。
というか正直なところを言えば、プッチーニのマノン・レスコーは、ちょっとうっとうしいくらい(プッチーニには申し訳ないけど)音楽が高揚し続けるというか、
これでもかっていうくらい暑苦しいほどの音楽なんですが、
原作を読むと、この熱気はまさに恋に盲目になっているデ・グリューそのものだなと。
ああ、これくらい熱い音楽でいいんだわって思ったんですよね。
ストーリー的には原作をかなり短縮してオペラ化しているけど、でも原作にある若くて熱いデ・グリューの思いは、音楽でなくちゃここまで表現できないのかもしれません。
特にプッチーニの音楽はデ・グリューのほとばしる愛情が感じられる音楽だと思います。
個人的にはマスネもフランス的な流麗かつ熱い音楽で、マノンが魅力的に変わっていくから好きなのですが。
やっぱりどちらも捨てがたいから、両方残っているんですね。
原作のマノンってどんな女性
原作のマノン・レスコーを読み進めていくとずっともどかしい気持ちが続くんですよね。
それはどんな気持ちかというと
「なぜマノンと別れない!?」
という苛立ちのような感情なのです。
デ・グリューの方は
名家の一族、悪いことは嫌い、成績優秀、人好きのする容貌、誠実で物静か。
だから刑務所に入ってからですら、デグリューはその物腰や誠実な人柄から、周りの人に一目置かれるような人物なのです。
一方マノンの方はどうかというと
- 金のあるうちこそ忠実‥一旦落ち目になると信用ならない
- 贅沢と快楽を私のために犠牲にするには、あまりにもそれらを愛しすぎている
- 金銭に対してあれほど淡白な女はなかったろうがそのくせ金銭の不足は一時たりと彼女を落ち着かせてはおかなかった
- 好みにあった快楽さえ与えておけば満足させるのは簡単な女性
- なんらかの金銭の不安にあえばこの愛情も根こそぎ崩れてしまうことは明らか
- 自分が貧乏で困っている時に贅沢な暮らしをしている女でも見せつけられると自分で自分がわからなくなる
- 軽薄で向こう見ずだけど一途で真正直
- 貧乏という名前には我慢ができない
「新潮文庫マノン・レスコー アベ・プレヴォー青柳瑞穂訳より」
とこんな感じで書かれているのです。しかもこれらの言葉はすべて、恋人のデ・グリュー自身の口から出ている言葉なのですよ。
なんとも切ない。
そこまでマノンの娼婦性がわかっていながら、なぜ別れないのか?と思ってしまうんですよね。
それどころか
- マノンはオペラ座が好きだから週に二度行くことにしよう
- 恋の楽しさを味わわせうるのは私ひとり
- 彼女の出費に応じられるように、自分の分は十分に節約する
- 人々が尊重するようなものをことごとく失っていた。しかし唯一の宝物としてマノンの心を‥
「同じく新潮文庫マノン・レスコーより」
どうですこの献身ぶり。
でもマノンの魅力もわからないではありません。
計算高さとか裏表は全くなく、たとえ裏切っても本気でデ・グリューのために涙を流す少女。
そして時には静かに読書に耽る少女。(これにもグッとくるみたいです、男性は読書する女性が好き?)
自分が好きなことを楽しみたいだけでそれが宝石やオペラ座や洋服。
ただそれが好きなだけで、際限なく贅沢を求めているような強欲さはないところ。
そして何より可憐で美しい容姿。
オペラの方ではマノンの裏切りは簡単に描かれていますが、原作では3度もデ・グリューを裏切っていますし、2度刑務所に入れられているんですね。
しかもデ・グリューは脱獄するし、その時小使いをいとも簡単にピストルで殺し(この件については物語の中で水に流されているのがどうにも不思議です、そういう時代だったのか‥)
そしてマノンも脱獄させているのです(これも水に流されていて不思議ですが両方ともすごい罪だと思うんですが)。
マノンの贅沢な洋服や、コメディ・フランセーズ行きのために、デ・グリューは借金をし、親のお金を使い果たし、賭博に手を染め、親不孝のために父は早死にし‥
というように、もう見ていられないほどマノンのために堕落していくわけです。
でもこの原作をオペラにしたいと思わずいいられなかった作曲者たちが多いということはなんなんだろう、と考えてしまうんですね。
ベルクのルルっていう自堕落な主人公が出てくるオペラも、なぜか紳士に人気のオペラって言われます。
淑女と娼婦の両面を持つ女性って、やっぱり男性の求めるところなんでしょうか。
身を滅ぼすような恋をしたい!
これって男性は皆思っていたりしてね。
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