イギリスではヘンデルの活躍もあり、ヨーロッパのオペラが盛んに取り入れられました。
順調にオペラ文化が発展していくかと思われたのですが
その後の歴史上、長くオペラが育たなかった時期があります。
ロイヤルオペラハウス
パーセルとヘンデルの存在
イギリスで生まれたオペラで、現在上演されているものはそれほど多くありません。
現在も上演される(日本ではほとんど上演されませんが)イギリスのオペラで歴史上もっとも古いものは
パーセル作曲の「ダイドとイニアス」あたりでしょうか。
こちらの初演は1689年。
イタリア同様にイギリスにも古くからオペラはあったんですよね。
1689年といえばバッハやヘンデルが生まれたばかり、
モーツァルトはまだ生まれていない頃です。
パーセルのこのオペラの原作は叙事詩で1時間ほどの短い作品なのですが、
作られたきっかけがちょっと興味ふかく、
女学校の学芸会のために作った作品なのです。
300年以上前の作品が残っていることだけでも大変なことですが、
今で言う学芸会の作品で、しかも現代に残るほどの高い作品が残っていたのは、
珍しいことだと思います。
さて、イギリスの初期のオペラの歴史の中で忘れてはいけないのはヘンデルの存在です。
ヘンデルはバッハとほぼ同じ時期の人ですが、ヘンデルもバッハもドイツの生まれなんですね。
ただ、二人が異なるのは
バッハが主に教会用の音楽を作っていたのに対し、ヘンデルは劇用の音楽を作っていたことです。
そして当時はヘンデルの方が格段に有名だったんですね。
現在ではどちらかというとバッハの方が有名なのかなと思いますが、そういう歴史の逆転はちょいちょい見かけます。
さてヘンデルは20歳頃からイタリアを巡っています。
おそらく当時のイタリアではモンテヴェルディ以降のオペラが盛んに上演されていた時期だったと思います。
それらを吸収したヘンデルは27歳でイギリスに渡り、その後永住しています。
そのためヘンデルの多くのオペラの初演はイギリスのロンドンなのです。
ヘンデルがロンドンに渡る1年前にリナルドというオペラが初めてロンドンで上演されていますが、
その成功がその後の永住の引き金になったのかもしれません。
翌年にはロンドンに渡って終生そこで過ごしていますから。
ラールゴで有名なセルセというオペラもやはりロンドンで初演されています。
ヘンデルのオペラの特徴の一つに、カウンターテナーがしばしば使われているということがあります。
当時はカストラートがスター歌手だったので、カストラートはもちろんのことなのですが、それ以外に
リナルドや、アリオダンテというオペラにはカウンターテナーが出てくるのです。
実はイギリスは古くから聖歌隊を中心として、カウンターテナーの存在があったんですね。
ドイツ生まれのヘンデルがイギリスデビューに際し、イギリス伝統のカウンターテナーを起用したであろうことは、想像できるような気がします。
乞食オペラの出現とサリヴァンのオペレッタ
さて、イギリスのオペラの歴史では18世紀に入ってもヘンデルたちのバロックオペラが盛んに上演されていたのですが、
ペープシュという人がバラッドオペラと呼ばれるオペラを作ります。
バラッドオペラというのは当時流行した風刺の入った劇で短い歌も入っていました。
中でもベガーズオペラ(乞食オペラ)という風刺が効いたオペラを発表すると、たちまちそちらが人気になってしまうんですね。
初演は1728年のことです。
乞食オペラはどちらかというと現代のミュージカルのようなオペラで、セリフが主で歌は短め。
内容もイタリアオペラとは真逆で、登場人物は貴族や英雄たちではなく下層階級の人たちや犯罪者でした。
作曲はペープシュとなっていますが、もともとはオーケストラなどの楽器は無しで歌うだけの予定で
どちらかというと劇に近いものです。
ペープシュの作品というより、台本を作ったジョン・ゲイの作品と言った方が良いかもしれません。
とにかくこちらが大ヒットになることで、イギリスのバロックオペラは歴史上なりをひそめ、
以後、長い間イギリスはオペラが育たない不毛地帯になってしまったのです。
このバラッドオペラはドイツに渡り、モーツァルトをはじめとするジングシュピールというセリフ入りのオペラの元になっていきます。
- イギリスは島国なので、イタリア語がわからなかったからイタリアのオペラに馴染まなかった、とか
- カストラートが全盛の時代なので、コテコテのバロックオペラがイギリスには合わなかったのではないか、とか
いろいろ意見はあるようですが、本当のところはわかりません。
ただ、イギリスと同じく島国の日本においてもいまだに字幕が必要なオペラより
劇団四季のミュージカルや宝塚が人気なのをみれば、やはり言葉の壁っていうのはあるような気がします。
さてそんなイギリスにもオペレッタの歴史の波はやってきます。
オペレッタの歴史はもともとはフランスから生まれているのですが、
ウィーンで盛んになりその波はイギリスにもやってくるんですね。
サリヴァンという作曲家がでてきてロンドンのオペレッタの歴史を築き始めます。
サリヴァンという人は数々のオペレッタをヒットさせるのですが、中でもミカドという日本を舞台にしたオペレッタは現在でも人気がある演目です。
サリヴァンが描くオペレッタは人情の喜劇。
人情の喜劇というと私などは藤山寛美が浮かんでしまう‥古い。
ミカドは日本の江戸が舞台で、天皇のことを指しているんですね。
外国人が日本を取り上げると、よくある日本の勘違い、はもちろんあるのですが、
ミカドはそれを全部笑って許せる、楽しいオペレッタだと思います。
特にミカドが登場する際に流れるトンヤレ節。
トンヤレ節は「宮さん、宮さん‥‥トコトンヤレ、トンヤレナ」と歌う日本最初の軍歌で
明治元年に作られたと言われてるんですね。
軍歌といえば元気はいいけどどこか悲しげな短調の曲というイメージがありますが、
このトンヤレ節は明るい長調の曲。
最初の軍歌は明るかったんだなと、と思います。
ブリテンの登場
こんな感じで長きにわたって歴史上後世に残るようなオペラが生まれなかったイギリスですが、
20世紀になってようやくブリテンという作曲家が出てきます。
ウィーン出身の作曲家でアルバン・ベルクという人がいます。
ベルクはヴォツェックやルルというオペラを書いた人なのですが、
この人のオペラは非常に前衛的ではっきり言って、私などにはわかりにくい音楽です。
調が無い無調音楽と言われるんですよね。
ブリテンはこのベルクという人をとても尊敬していたと言います。
彼にとってベルクはとてもフィットする音楽だったのでしょう。
そんなブリテンのオペラもまた、前提的で不思議です。
イギリスのオペラに新しい歴史を作ったと言っていいかもしれません。
ブリテンのオペラは内容的に地味で、普通の人を題材にしているところはヴェリズモオペラと似ているのですが、
音楽的には全く違っているのです。
ブリテンの代表作はピーター・グライムズというオペラ。
ピーター・グライムズは漁で死んだ少年の死因にまつわるオペラです。
暗いストーリーと内容で、演劇性が強いのは
やはりバラッドオペラの国、そしてシェークスピアの国でもあるイギリスだからということもあるのでしょうか。
また、ブリテンのルクリーシアの陵辱というオペラでは、ナレーターのような役がいて、コメントを述べていくという変わったオペラです。
また、ブリテンの特徴の一つに、室内オペラが多いことがあります。
10人ちょっとの管弦楽で進められるこじんまりのしたオペラは、やはり劇要素が強いですね。
ブリテンのもう一つの傑作はねじの回転。
心理劇がオペラになって深層心理をえぐり出していく様は、まさにオペラの新しい形だと思います。
考えさせられるような演劇好きにはブリテンはとても向いていると思いますね。
実はブリテンは日本の能にも影響を受けています。
カーリュー・リヴァーというオペラがありますが、これは日本の能「隅田川」からきていて内容もそっくりなのです。
日本人でも難しい能の世界なのに、ブリテンが隅田川に影響されていたというのはとても意外な気がしました。
さて、ブリテンの多くの作品にはピーター・ビアーズというテノールが出演していました。
二人は生涯のパートナーで、ビアーズはほとんどのオペラに出ていると言っていいでしょう。
二人が恋愛関係にあったのかどうかと論議を醸し出した時もあったようですが、
現在ならたとえそうであっても特別なことでも無いですよね。
むしろ、気の合った人とずっと共に過ごせて、素晴らしい作品を残せたことは幸せだったのじゃないかと私は思います。
ロンドンのビッグベン
リヴァプールのエンパイアシアター
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