ミカド・宮さん宮さん!舞台は日本・サリヴァンのオペレッタ

今回は日本が舞台になっているちょっと珍しいオペレッタ「ミカド」についてです。

日本が舞台になっているオペラは、私が知る限りそれほど無くて、中では蝶々夫人がもっとも有名ですが、

オペレッタの分野では、蝶々夫人より前に「ミカド」があったんですよね。

今回はそんな「ミカド」についてです。

日本が舞台のオペレッタ

プッチーニの蝶々夫人の初演は1904年のことでした。

場所はミラノのスカラ座です。

当時ヨーロッパで日本が舞台のオペラが作られたことはなんとなく不思議な気がしますが、

それ以前にも日本が舞台の作品っていうのはあったんですよね。

ひとつはマスカーニが作曲した「イリス」というオペラでこちらの初演が1898年のこと。

だいたい蝶々夫人と似たような時期です。

マスカーニとプッチーニは同じイタリア出身で、活躍した時代も同じなんですね。

そしてそれより少し前の1885年にできていたのが今回のミカドという作品で、こちらはオペレッタです。

有名どころではミカドが最も古いということになります。

さて、1885年という時代にどうして日本が題材になったのかと思いませんか?

いわゆる黒船来航でペリーが来たのが1853年

井伊直弼が日米修好通商条約を結んだのが1858年

これ日本史で習いましたよね。(日本史は得意じゃなかったけどそれくらいはなんとなく覚えてる‥笑)

でもって、開国後の1862年にはロンドンの万国博日本の陶器などがすでに紹介されていたようなんです。

開国から4年後だから結構早いもんなんだなと。

ジャポニズムっていう言葉を聞いたことがあるんじゃないかと思います。

私などはジャポニズムって聞くとまず絵画のイメージが浮かびます。

ゴッホとかドガが油絵で着物の外人さんとか、浮世絵みたいなのを

はっきりした色彩とタッチで描いているという、そんなイメージです。

日本画とはちょっと違う感じとでもいうか。

とにかくジャポニズムっていわれる流行が当時(19世紀後半)のヨーロッパにあったんですよね。

日本っていう不思議な島国がある、珍しい国っていう風に認知されていったんでしょうね。

で、そんな中イギリスのロンドンでは1885年から約二年間日本村の展示というのがあったのです。

場所はナイツブリッジというところで、ハロッズっていう有名な百貨店がありますよね、あれなんかがある中心地的なところです。

日本にもスペイン村とかドイツ村とかありますけど、当時それなりの人気の観光地になっていたということだと思います。

その日本村には茶室があって、日本の音楽が流れていて、着物を着る人が歩いていて、日本の生活が紹介されていたようです。

いったい当時のヨーロッパの人たちはどんな感想を持ったのかなあ。

そしてそんなジャポニズムの波に乗ってオペレッタ「ミカド」も現れた。

大きくみればそんな流れじゃないかと思います。

きっかけはジャポニズムブームだったんだなと。

日本に目を付けたのは、台本を担当したウィリアム・S・ギルバートっていう人だったんですよね。

ギルバートが、当時流行していたジャポニズムをオペレッタにも取り入れたわけです。

そうかそうだったんだ、と私なりに納得!。

ギルバートとサリヴァンのコンビといえばサヴォイオペラとしても有名ですが、それはまた別で言うとして

ミカドは当たりに当たって初演から700回近いロングランになったと言います。

今でいうなら劇団四季のキャッツが当たってロングランになった、みたいなそんな感じだったのかもしれません。

そう思うとすごいことですよね。

当時出演者がどんな衣装で登場したのかは知らないのですが、

旅芸人に扮したナンキプーはいずれにしてもかなり異国感たっぷりだったに違いなさそうです。

三味線持っていたり、着物を着たりしていたみたいですから。

ミカドってどんなオペレッタ?

ミカドは1885年ロンドンのサヴォイ劇場っていうところで初演されました。

作曲はアーサー・サリヴァンというイギリスの作曲家。

そして台本はウィリアム・S・ギルバートというイギリスの劇作家です。

ではミカドっていったいどんなオペレッタかというと

私流に言えば、思ったより上品で美しい音楽。

実は見る前はもっと俗っぽい感じなのかなと思っていたのですが、

実際に見てみると、あれ?という感じだったんですよね。

ロマンティックでちょっと切ない曲があり、また軽快な曲もあり。

ストーリー的には何コレ?と思うような部分もたくさんあるんですけどね。

宮さま、宮さま~♪」とか「おにびっくり、しゃっくり♪

って日本語で合唱するからわけわかんないし‥。

海外の人が見たら日本語だとはわからないだろうから、不思議だろうなあと(笑)

宮さま」っていう言葉は日本人でもそれほど使わないと思いますし

おにびっくり」に至っては更に使わない。バブル期に高校生が使っていたくらいかと。

びっくりとしゃっくりで韻を踏みたかったのかなとこれは単なる想像。

あと思ったのは、とてもセリフが多いということ。

オペラって全く言葉がわからなくても、あらすじを知っていれば字幕が無くてもだいたいOK、理解できるって言うところがあると思うんですよね。

あとオペレッタの中でもヨハン・シュトラウスのこうもりあたりなら、字幕がなくてもだいたい大丈夫かと。

でもミカドのようなオペレッタは字幕が無いと絶対無理!

それくらいセリフが多いしアドリブも多そう。

明らかに笑いを取ろうとしている部分も多くて、これ芝居じゃん!って思いたくなるけど音楽になると意外にきれいで、オペラ歌手がちゃんと歌うから

やっぱりオペレッタかあと思う、そんな感じかな。

全体に筋書きと演技を楽しむ、それがこのオペレッタの特徴じゃないかと思います。

舞台は日本ですが、演出によって着物を使って日本的にしたり、普通の衣装にすることもできるし、またおどけた衣装なんかもありだろうなと思います。

というか舞台が日本だといっても日本らしい名前も地名も一切出てこなくて、ミカドっていう言葉があるだけなんですよね。

どこが日本なんだろう?っていうくらい何も日本らしさはないというか。

日本っていう、当時人気があった遠い島国の設定にして、おもしろおかしく作ってるけど

要は当時の政治とか悪い風習なんかを風刺したかっただけなんじゃないの?と突っ込みたくなるような作品です。

ストーリーも正直なところふざけたものなんだけど、これが当時受けて、いまだに人気なんだから

もしやイギリス人が持つ日本のイメージって三味線を持った旅芸人っていうのが根付いていたりするんじゃないかと思うほどです。

また、お話の中ではいちゃつき罪で死刑になるとか、

意見がコロコロと変わる「なんでも大臣」がいるとか、

ミカドは死刑が大好き、公金を使ってしまおう

国家機密を小売りにするとか、

まさに風刺というか、ブラックなことをジョークにしちゃう、そんなところが大衆に受けたのかなあと言う気がします。

また、このミカドについては、全然日本らしさはないとはいえ、かつて日本政府がが天皇を馬鹿にされたとして、上演禁止を求めたという事実もあったようです。

まあバカにしているといえばそうだけど、そもそもバカバカしい内容だしなあ‥

ミカドのあらすじ

もしもオペラとかオペレッタをひとくくりにして、高尚なものと言うイメージを持っている人がいるなら

一度このミカドを見てみるといいかもしれません。

ミカドはオペラの紹介本にはだいたい載っている有名な演目なのですが、

ヴェルディのオテロとサリヴァンのミカドを同じオペラとして(ミカドはオペレッタですが)本に紹介されてしまって良いんだろうか、と思うほど両者は別物

それくらいオペラの世界はいろんな作品があるっていうことだとも思っちゃいます。

ミカドはふざけた内容だけど結構ストーリーがおもしろいし、音楽はきれいだし、ただ楽しめばいいだけのオペレッタかと。

死刑をやりたがる人が出てくるところは、シャブリエのブッファ・「エトワール」串刺しの刑が大好きな王様を思い出しちゃいますね。

それにミカドの息子が旅芸人に扮するというのは、なんとも変わった設定ですが、

位の高い人が庶民のふりをして街に出るというのは、昔からよくある設定ではありますよね。

また「女性の自由は50歳から」というセリフもあって。これについては意味不明

50歳から女性が急に強くなるっていうこと?いや女性はずっと強い気もします(笑)

というわけで簡単にあらすじを書いておきます。

<ミカドの簡単あらすじ>

場所は日本の街ティティプ(そんな街は無いよね)

ミカドの息子ナンキプー(こんな日本名も無いですよね、いや無いとは限らないか、あったらすみません)

年増のカティシャと結婚させられるのがいやで逃げ出し、旅芸人に扮しており

街で知り合ったヤムヤムに恋しています。

でもヤムヤムは後見人で死刑執行人のココと結婚することになっていて絶望的なナンキプー

一方ミカドからは最近死刑が執行されていないから1ヶ月のうちに必ず死刑をするようにとの命令。

ココは、失恋して自殺を考えているナンプキーに、自殺するなら死刑になってもらおうとしますが‥。

死ぬ前に1ヶ月だけでもナムナムと新婚生活を楽しもうとするナンプキー。

そして実は虫も殺せない小心者のココは、ナンプキーが死んだことにするのですが、

ナンプキーがミカドの息子だったことがわかり‥。

なんやかんや、すったもんだの末、最後はナンキプーとヤムヤムの二人は結ばれてめでたしです。

プーパーっていう「なんでも大臣」の役があるんですけど

私設秘書としていうなら公金を使えというし

大蔵大臣として言うなら国家のお金は使えない言ったりするところは

なんか現代でも通じるなと失笑しちゃうところ。

歌も良いけどやっぱりセリフありだよねえ、と思っちゃうオペレッタですね。

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