暗いオペラだったけれど
「メデア」というオペラの私のイメージは一言で言うと「暗い…」でした。
メデアをみたのはかなり前で、劇場でみたのではなく映画仕立て映像を見たのでした。
メデア役はマリア・カラスです。後で調べると映画版メデアでは歌っていないらしく、そういえばそうだったのかなとうろおぼえ…(笑)
当時はマリア・カラスのものをいくつか見ていたので(確かトスカとか…)これもマリア・カラスなんだ…とそれくらいの感じでした。
まだオペラにはまり始めた頃でどちらかというと楽しいオペラが好きだったので、ただただ暗いこの「メデア」は見ているうちに飽きてしまいました。つまんない…
特に最後の丘のような場所で遠くの城を見つめているメデアと子供たちのシーンが暗すぎて「何なんだろうこれは…」って思い、そこでポチッと見るのをやめてしまったと思います。
おそらく今見たらまったく印象が違っていたのかもしれないです。
当時は作曲したルイージ・ケルビーニも知らないし、オペラの種類も全然わからない頃で、題材になっているギリシャ悲劇もわからない(これはいまだによくわかっていませんが…笑)、ましてマリアカラスが復活させたオペラだったこともまったく知らなかったのでした。
おそらくこの映像やオペラを今の私が見ていたら、もっと興味を持ったと思いますし、ケルビーニについては「この時代にこんな音楽を作っていた作曲家がいたんだ…すごい」とそんな驚きと発見をもってみたのではないかという気がします。
かつては有名だったルイージ・ケルビーニ
メデアの初演は1797年のことです。
作曲したのはルイージ・ケルビーニという人で1760年生まれ。
主にフランスで活躍していた人で、亡くなったのが1842年なのでまさにフランス革命の頃の人なんですよね。
代表作に「レクイエムハ短調」というのがあって、これがルイ16世の処刑を悼んで作られたということからも
「まさにその時代の人なのね」と思ったのでした。
メデアはもとはフランス語のオペラで、初演もパリのフェイドー劇場という場所でしたが、作曲したルイージ・ケルビーニはフランスではなくイタリアのフィレンツェ生まれでした。
私の中ではイタリアからフランスに行って成功したオペラ作曲家というと、まずロッシーニが最初の人として浮かんでしまうのですが、
実はロッシーニの少し前にもいたのねと、そんなことも思いました。おそらくそれ以外にもいたのかもしれません。
陸続きのヨーロッパは島国日本とはちょっと感覚が違うと思いますし…。
メデアは、オペラ本などの分類ではイタリアオペラの中に入っていますが
ケルビーニがイタリアの人だからだと思います。
最初に作られたのはフランスで、原語もフランス語でしたが、現在ではその後に作られたイタリア語版の方で上演されることが多いようです。(日本ではほぼ上演されていませんが)。
そんなわけで、メデアを見るときは何語での上演かなというのもちょっと気にしてみるとよいかもしれません。
ちなみにオリジナルのフランス語版ではセリフの入ったオペラコミックと言われるオペラでしたが、イタリア語版の方はセリフではなくレチタティーヴォになっています。そこら辺も気にするとよいかも。
当時ルイージ・ケルビーニはかなりの有名人だったらしく、ベートーヴェンやワーグナーなどが絶賛したのだとか。そうなんだ…という驚き。
まだまだ知らない作曲家がたくさんいます。
というか今残っているオペラの方がほんの僅かなんだろうなと改めて思うのでした。
そういえばリュリっていう人もフランスのバロックオペラの人だけどやはりイタリアの人でした。
フランスのオペラの歴史を見ると、1730年代にラモーがいて1752年にジャン・ジャック・ルソーが「村の占い師」という1幕の短いオペラを作っていますけど、今も知られている作曲家はそれくらいで、あとは忘れられてしまっている感が…。それとも日本だから知らないだけなのか‥。
リュリはこの二人よりさらに前の人です。
ケルビーニのあとはオーベールなどが出て来てグランドオペラの時代になるとフランスのオペラ作品もたくさん残っていますけど、メデアの初演の頃はフランスオペラはあまり無いっていう私のイメージです。
革命が起きていたような時代背景の影響もあったかもしれないし、オペラはやっぱりイタリアが強かった時代なのかなと思います。
この時代にイタリア人がフランスに行ってイタリア語ではなくフランス語でオペラを作ったというのは実はあとからみると重要なことだった気がします。
このあと19世紀の前半はグランドオペラの時代になっていってそちらはフランス語のオペラになっていきますからそういう意味ではフランスオペラの流れで見るとさきがけ的な気がするんですよね。
とはいえ、メデアの初演は残念ながら成功というわけではなかったようです。内容が暗すぎたからともいわれますがその辺はよくわかりません。
ただベートーベンやワーグナーが絶賛したというくらいですから「これは見なくちゃ」って私などは思います。
ギリシャ神話エウリピデスのメデが元
メデアというオペラの題材はエウリピデスの古代ギリシャのお話から来ている悲劇です。
場所は古代ギリシャのコリントが舞台。
フランス版の題は「メデ」(Médée)となっていますが、イタリア版では「メデア」(Media)、私が見た作品もメデアになっていたと思います。
お話は、愛した男性に捨てられたメデアが怒りの復讐をするストーリーです。
異国の男性との間に二人の子供までもうけたのに、男性に愛想をつかされ(というかメデアの残酷さから逃げたのですが)男性は別の女性と結婚することになります。
怒り狂ったメデアは結婚相手の女性に毒を仕込んだ婚礼衣装を送り付けて殺し、さらに自分との間の子供まで殺して、神殿に火を付け自らも炎の中に入っていくという恐ろしい復讐劇になっています。
一見するとノルマの設定にも似ている?と思ったのですが、あちらは子供も殺さないし、最終的には男性も悔い改めるのでずいぶん違う結末でした。
ちなみにフランス語訳の方はフランソワ・ホフマンという人の訳。そしてイタリア語版の方はカルロ・ザンワリーニという人によるものです。
日本でメデアはまだ見たことがありませんが、海外ではおそらく日本より上演頻度は高いのではないかと思います。
もしフランス語版の上演があったらさらにレアなんじゃないかなという気がしています。
「メデア」とつくオペラは実は他にもあって、例えばフランスのシャルパンティエという人も「メデ」というオペラを作っていて、こちらは1693年の初演なので、かなり古いフランスバロックの時代のオペラです。
リュリなんかと同時代の人です。
イタリアのサイモン・マイヤー(マイール)という人が作った「コリントのメディア」というオペラもあります。
こちらも同じくエウリピデスのメデアを題材にしたオペラでこちらは1813年の初演でした。
場所はサン・カルロ劇場です。
こちらはナポリでオペラが盛んだった黄金時代の作品の一つなんじゃないかと思います(見たことはありませんが)。
マイヤーという人は今はほとんど知名度がないのですが、すごくたくさんのオペラを作った人なんですよね。
サン・カルロで初演、ナポリっていう場所、そして時代を考えると、カストラートが活躍するオペラをたくさん作っていた人なんじゃないかと勝手に想像しています。
ちなみにマイヤーという人はドイツ生まれで、ほぼイタリアで活躍した作曲家なんですよね。
時代によってオペラの活躍場所も変化していったっていうことがちょっとわかります。
余談ですが、題が同じオペラって実は割とあって、「セビリアの理髪師」というオペラはパイジェッロという人と、ロッシーニという人が作っていることは知っていたのですけど、
最近になって「ルサルカ」というオペラもドヴォルザークだけだと思っていたら、同じ題でダルゴムイシスキーも作っていたことを知りました。同名オペラはまた他にもたくさんありそうです。
ケルビーニはイタリアからフランスに行って活躍した人ですが、ロッシーニがイタリアから来て人気がでたのでそちらに押されてしまったみたいですね。そうだったんだ‥。
ケルビーニのメデアというオペラは主役のメデアが非常に強い個性的なので、主役を歌うの歌手の力量にかかっているオペラと言われます。
長い間忘れられていたケルビーニのオペラを復活させたのはマリア・カラスだったんですよね。
ちなみに音楽を聞くと、もっとバロックぽいのかと勝手に思っていたのですが、なんていうか‥ヴェルディとかそっちの路線だなと思いました。だから彼らに崇拝されたのねとなんか納得する音楽です。
マリア・カラスが復活させた
数あるオペラのほとんどは現在までに忘れられてしまっていて、残っているのはいったい何分の1くらいなんだろうって思います。
そういうオペラの復活には有名な歌手の意向や指揮者、芸術監督の意向などが影響することが多いと思います。
特に人気のある歌手が歌うと知られていないオペラでも一躍有名な演目になりますし、お客さんもたくさんはいりますよね。
マリア・カラスのおかげで有名になったと言われるオペラはベッリーニの「ノルマ」やドニゼッティの
「ランメルモールのルチア」とそれにこのケルビーニの「メデア」などがあげられます。
どれも高度が技術が必要な演目で、誰でも歌えるわけではないって言われるようなオペラですね。
マリア・カラスがメデアを復活させたのは1953年のことで、場所はフェレンツェ歌劇場でした。
フィレンツェはケルビーニの生まれた場所だから選んだのかも。
同じ1953年のスカラ座でのライブの映像も残っていますがそちらはバーンスタインの指揮で、
復活1回目の時はヴィットリオ・グイという指揮者でした。
ヴィットリオ・グイという指揮者はローマ生まれでフィレンツェで活躍していた人みたいです。イギリスはクラインドボーン音楽祭の音楽監督をやっていたくらいですから有名な人なんだろうなと思います。
1953年当時、マリア・カラスはまだ30歳、若いですよね。
ただ彼女の歌手寿命はとても短かったので映画仕立ての時にはもう歌えなかったのかなと思います。
映画は1969年制作でまだ45才なので、普通なら歌手として一番脂がのる時期なのに…。
最後に初演のフェイドー劇場ですが、ここはもともとフランス王室ルイ18世により1789年に建てられた劇場でした。まさにフランス革命勃発の年ですよね。
もともとはイタリアオペラを上演する劇場としていたようで、当時のお抱えの作曲家の一人がイタリア人のケルビーニでした。
フランス革命の影響でイタリアオペラだけをやるということがなくなったようで、ケルビーニはフランス語のオペラを作るようになった、そんな歴史との兼ね合いがあったみたいです。
オペラを通してみる歴史もちょっと興味深いです。
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