オペラブッファ(opera buffa)とはイタリアを中心として発展したオペラの形式で、
日本語にすると喜歌劇です。
18世紀から19世紀にかけて、多くのオペラブッファの作品が生まれました。
対照的なものとしてはオペラセリア(正歌劇)があります。
オペラブッファの特徴
実はオペラブッファというのは単純に喜劇オペラのことをいうと私は長らく思っていました。
笑えるオペラがオペラブッファだと。
確かに広義にはそういう解釈もあるのですが、
ブッファ(buffa)はイタリア語。
本来の意味はイタリアを中心として18世紀から19世紀の半ば頃までの間に流行したオペラの一形式だったんですね。
その特徴は、
- 喜劇である
- 主人公が、英雄や王ではなく身近な存在
- バリトンやバスなど低音歌手が活躍する
- 重唱や合唱が多い
など。
オペラブッファが流行した時代はオペラセリアの全盛期に近くやや遅れる形で発展しています。
オペラセリアの主人公が英雄や伝説の人物あるいは王侯貴族でその徳を示すような内容だったのに対し、
オペラブッファは砕けた内容で主人公は身近な存在。
時には召使いが主人公だったりしました。
また、オペラセリアの場合は主人公はカストラートやソプラノなどの高音域の歌手が中心で、
低音域の声は、主に脇役でしかもとても少ないという状況でした。
それに対しオペラブッファは、バスやバリトンが主に滑稽な役柄として重要な位置を占めていたことも特徴です。
さらに、オペラセリアがカストラートやソプラノ重視だったため、
歌手が目立つこと、つまり単独で歌うアリアが中心だったのに対し、
オペラブッファは重唱や合唱が効果的に使われていました。
これは後の19世紀のオペラの多くが(喜劇・悲劇とも)アリア、重唱、合唱などの全てを効果的に使うことの、見本にもなっていったようなのです。
なるほどなあと思うんですよね。
確かにバロックオペラを見るとアリアが非常に多いと感じるのです。
演目にもよりますが、アリアばかり‥という感じすらちょっとあります。
オペラブッファの始まり
さてオペラブッファはもともとはオペラセリアの幕間劇から始まったと言われています。
この幕間劇はインテルメッツォと呼ばれるもので、幕と幕の間の息抜き的なもの、あるいは
ストーリーの説明や補足の意味合いがありました。
インテルメッツォと呼ばれるものは、短い劇だったり間奏曲だったり時にはバレエのこともあったようです。
オペラブッファはオペラセリアのインテルメッツォとして生まれそれが人気になり、
独立して上演されるようになったと言われているわけです。
インテルメッツォとして始まり有名になったものの代表作は、
ベルコレージの「奥様女中」です。
奥様女中はもともとは、ベルコレージのオペラセリア「誇り高き囚人」の幕間劇だったのが単独で人気が出たものなのです。
現在誇り高き囚人の方はほぼ上演されませんが奥様女中の方は今でも上演されていますね。
この奥様女中を作曲したベルコレージという人は、ナポリで勉強したナポリ楽派の人物。
わずか26歳という若さで亡くなっていますが、
他にも「妹を愛した兄」など現在まで残るオペラブッファを作った人です。
この時代のオペラセリアはあまり現在まで残っていないことを思うと、ベルコレージはとりわけ才能溢れる人物だったのではないかと想像してしまいます。
コンメディア・デッラルテ
オペラは良い台本があるかないかで、ずいぶん出来が変わってくるものだと思うのですが、
オペラブッファは喜劇なので台本の優劣がより重要になってくると思います。
さて、イタリアにおいて16世紀後半から急速に発展したのが
コンメディア・デッラルテという喜劇です。
コンメディア・デッラルテというのは仮面を使用する劇で、その特徴は役柄が型にはまって決まっていたこと。
有名なものは、
- アルレッキーノ
- コロンビーナ
- パリアッチ
など。
アルレッキーノは道化、コロンビーナは女性、パリアッチはピエロの格好をした道化。
これを見て気付く人もいると思いますが、レオンカヴァッロ作曲の道化師というオペラの
劇中劇はこのコンメディア・デッラルテの形式にとても似ています。
姿を見ればその性格や役割がわかるというのがこの劇の特徴でした。
歴史上長い間流行していますし現在でもサーカスなどで道化の姿を見ますよね。
コンメディア・デッラルテの芝居を見たことはありませんが、即興的なその劇はさぞかし楽しかったのだろうなと思ってしまいます。
そんな、コンメディア・デッラルテの台本に変化をもたらしたのがゴルドーニという人でした。
ゴルドーニの台本
ゴルドーニは1707年、イタリアのヴェネチアの出身。
コンメディア・デッラルテが、型にはまった登場人物だったのに対し、
ゴルドーニが書く喜劇は、仮面を使わず素顔で演じる劇、
そして登場人物も型にはまったキャラクターではなく様々な一般の人々を取り上げるものでした。
いつの時代も新しいものが出てくると、最初は批判されるというのは世の常だと思うのですが、
ゴルドーニの場合もそうで、因習的で保守的な人々からそのやり方に痛烈な批判や揶揄があったようです。
その一人がカルロ・ゴッツィ。
ゴッツィは保守方、コンメディア・デッラルテの作家で、ゴルドーニと同じくヴェネチアの出身でした。
のちにプッチーニがこのカルロ・ゴッツィのトゥーランドットをオペラにしています。
それでもゴルドーニの喜劇は、やはり秀逸だったようで彼がオペラの台本を書くようになることで、
ヴェネチアでは面白いオペラブッファが生まれるようになります。
- 台本ゴルドーニ
- 作曲ガルッピ
のオペラブッファ「田舎の哲学者」や
- 台本ゴルドーニ
- 作曲ピッチンニ
のオペラブッファ「ラ・チェッキーナ」などがそうです。
そしてゴルドーニのオペラブッファは、続くパイジェッロや、サリエリ、チマローザといった
現在まで残るオペラブッファを作り出す元になったのです。
考えてみると18世紀というのは、カストラートが活躍しオペラセリアが多く作られたにもかかわらず、
現代まで残っている作品はというと、圧倒的にオペラブッファの方が多いのです。
やはりゴルドーニの台本がもたらした、影響は大きかったのではないでしょうか。
モーツァルトからロッシーニへ
オペラブッファの頂点は、モーツァルトだと言われています。
ゴルドーニの台本を手本として引き継がれていったオペラブッファの傾向は、
モーツァルトという天才の音楽が付くことで、最高のものになったということです。
特にモーツァルトの中のダ・ポンテ三部作と呼ばれる
は世界中のオペラハウスのレパートリーになっている作品です。
(ダ・ポンテは台本作家)
ドン・ジョバンニは、これが喜劇なのかな?と思うよう重厚な音楽もあり、
その音楽的なレベルの高さも、オペラブッファの頂点と言われる所以であるのかもしれません。
そしてオペラブッファはその後、ロッシーニのセビリアの理髪師や、ドニゼッティの愛の妙薬、というように
多くの、生き生きとしたオペラブッファの誕生へと引き継がれていったのです。すばらしいですねえ。
セビリアの理髪師のドンバジーリオや、愛の妙薬に出てくるインチキ薬売りなどは、
低音歌手がおもしろおかしく演じて活躍するんですよね。
とても楽しいオペラです。
日本の能と狂言
さて話は日本になるのですが、
オペラセリアとオペラブッファの関係を見ていると、どうしても日本の能と狂言が浮かんでしまいます。
狂言には大きく分けて
- 独立した狂言
- 間狂言(あいきょうげん)
と言うものがあります。
能も古い時代からあるので、時代で形式が変わってきているとはいえ、
能が武者や勇者や公家などが主人公(シテ)で、内容は悲劇的なものが多いこと、
また、能を観劇するのは身分の高い公家や武士であったこと。
そして、間狂言というのは能と能の間に挿入される劇で、
こちらは、太郎冠者など召使が出てくる滑稽な喜劇だったり、
あるいは能にでてくる狂言方が物語の進行を説明するための役割を担っていたこと。
これらを考えると遠く離れた日本と西洋で姿形、衣装などは全く異なるとはいえ、
とても似通ったものを感じませんか。
大きく違うところといえば仮面の使い方で、
日本にも能面や狂言面がありますが、
シリアスな能の方で面を使用している文化は日本独特かなと思います。
さて、いろいろ書きましたが最も言いたいこと、といえば、
オペラは難しい話ばかりではなく楽しいオペラブッファがたくさんあるということです。
多くの人にオペラブッファの楽しさを、味わってもらいたいですね。
コメントを残す