オペラの歴史はイタリアから始まったのですが、
現在世界の有名歌手がもっとも集まるのは、アメリカのメトロポリタン歌劇場ではないでしょうか。
オペラ好きなら一度は行きたい歌劇場でもあると思います。
今回はアメリカのオペラについて書いてみます。
メトロポリタン歌劇場
メトロポリタン歌劇場があるのは、アメリカの中心地ニューヨークですが、
ニューヨークでイタリアオペラが最初に上演されたのは1825年のことです。
オペラの発祥がだいたい1600年ごろと言われているので、アメリカに渡ったのは200年以上後のことになるわけですね。
その時の演目は、ロッシーニの「セビリアの理髪師」でした。
その際の劇場は、メトロポリタン歌劇場ではなかったのですが、
アメリカのニューヨークには、19世紀の前半からイタリアオペラが入ってきたということです。
イタリアからオペラの一座が来て、公演をしたのですから今でいう引っ越し公演ですね。
まだ飛行機も無い時代に、ヨーロッパから遠いアメリカまでやってきて、文化が広まっていたことに、音楽の持つ力のようなものを感じてしまいます。
さて、アメリカに現在のメトロポリタン歌劇場ができたのは1966年のことですが、
前身のメトロポリタン歌劇場ができたのは1883年と言われています。
その時の、こけら落としの演目はフランスのグノー作曲の「ファウスト」でした。
5幕まであるフランスのグランドオペラです。
ご当地フランスではこの頃すでにグランドオペラは下火だったと思うのですが、やはり最初なので豪華なグランドオペラにしたのかなと。これは想像です。
さてアメリカのメトロポリタン歌劇場といえば、世界の有名歌手が出演することで有名です。
その傾向は、初演のファウストの時からすでにあり、こけら落としの時にマルグリート役を歌ったのは
スウェーデン出身のプリマドンナクリスティーナ・ニルソンという人でした。
当時40歳、オペラ歌手としては脂がのっている年齢です。
オペラ座の怪人のモデルになった人とも言われています。
クリスティーナ・ニルソンの人気は絶大で、ヨーロッパの主要なオペラハウスで歌っていたのですが、
ある時、ストックホルムのホテルでコンサートを開い際には、彼女を声を聞こうとして5万人もの人が押し寄せ、けが人も出たと言いますから、すごいことですよね。
それくらい人気があったということなのです。
メトロポリタン歌劇場は、彼女に対して初演の一夜で破格の出演料を支払ったのだと言います。
それから今までの間、メトロポリタン歌劇場が順風満帆に歩んできたかというと必ずしもそういうわけではありません。
私が知っているメトロポリタンというとたくさん入る大きな劇場で、ジェイムズ・レヴァインが率いる劇場、そして多くの企業が出資していて、世界の有名な歌手がくる劇場、そんなイメージだったのですが、
それは最近のことだったというわけなんですよね。
演目がイタリアオペラに集中する時期もあり、また、ドイツオペラに集中してしまった時期もあり、またオペラの上演が低迷していた時代もあったのです。
そんな劇場が現在のような確固たる地位を形成することに、大きく貢献したのは資本家オットー・カーンだと言われています。
彼はイタリアのトスカニーニと契約、またイタリアから、ガッティ・カサッザを呼び寄せて支配人とし、メトロポリタン歌劇場を本格的な世界の劇場にしていったのです。
トスカニーニがアメリカのオペラに影響を与えていたことについては
そうだったのかと思うと同時に、だからアメリカには良いオペラが上演されるのねと
なぜか妙に納得したんですよね。
トスカニーニが最初にメトロポリタンでタクトを振った演目はアイーダで1908年のこと。
それ以降しばらくの間、イタリアから著名が歌手たちがメトロポリタン歌劇場で歌っていました。
エンリコ・カルーソーもその一人です。
まさに20世紀前半の黄金期だったんじゃないかと思います。
トスカニーニはその後メトロポリタンを離れてしまいますが、ガッティ・カサッザの方は30年近くそのままアメリカに残っています。
現在のような世界的にレベルの高いメトロポリタン歌劇場の基礎を築けたのは、このガッティ・カサッザのおかげも大きかったのではないでしょうか。
さて、メトロポリタン歌劇場は1966年に今ある劇場の形となります。
その際のこけら落としは
イタリアオペラでもなく、ドイツオペラでもなく、
アメリカの作曲家サミュエル・バーバー作曲の「アントニーとクレオパトラ」でした。
残念ながら、このこけら落としの公演は装置の不具合も含め失敗だったと言われているんですね。
それでも現在では指揮者ジェイムズ・レヴァインの努力などもあり、
歌手のみではなく音楽、演出を含めたオペラ全体として、世界のトップレベルを走っていると言っていいと思います。
とはいえ、オペラの歴史がほとんどないアメリカにおいては、やはりスカラ座やウィーンとは、立ち位置が異なります。
オペラの歴史が無い場所においては、有名歌手を呼ぶことは、
スポンサー達も納得しますし、4000人という広い会場に人を集めるためには
目玉となる歌手は、どうしても必要なのだと思います。
アメリカのメトロポリタン歌劇場といえば、トップ歌手が見られる劇場という売りが呼び水になっているのは間違いないと思います。
ただ、そのためというかメトロポリタン歌劇場には多くのスポンサーが関わっているため、オペラの斬新な試みは難しいと言われてきました。
それも仕方がないことだったでしょう。
でも、最近の上演を見る限り、埋もれていた作品を取り上げていますし演出も頻繁に変わるなど、さらに充実した劇場になってきているように思います。
同じくオペラの歴史が浅い日本も、似たような構造になるのかなと、最近ちょっと感じています。
日本にもかなり有名な歌手が来日して歌っていますから。
アメリカオペラの作曲家と作品
さて、1966年のメトロポリタン歌劇場のこけら落としは、アメリカ人の作曲家サミュエル・バーバーでしたが、
アメリカのオペラ作曲家としてバーバーを含め3人をちょっとあげてみますね。
- ジョージ・ガーシュイン
- サミュエル・バーバー
- ジャン・カルロ・メノッティ
ジョージ・ガーシュイン
ガーシュインは1898年ニューヨーク生まれの作曲家です。
ラプソディ・イン・ブルーという曲が有名ですが、オペラも書いています。
1935年ガーシュインが36歳の時に作曲した「ポーギーとベス」というオペラは
登場人物がほとんど黒人という異色のオペラ。
ガーシュインはジャズが得意なので、このオペラにもジャズ風のメロディが入る、魅力的なオペラです。
サマータイムは単独でもしばしば歌われていますね。
ガーシュインは子供のころから音楽教育をきちんと受けていたわけではないのに、オペラまで作曲し、しかもそのほかの曲も作曲しています。
ただ、最も得意なのはミュージカルだったようで、そこはアメリカらしいと思います。
オペラ2曲に対してミュージカルの方は50曲近くも手掛けているんですね。
ガーシュインという人は病のために、38歳という若さで亡くなっているのですが、
ポピュラーな曲を含め500曲以上の曲を作った人です。すごい数ですよね。
成人してから20年弱でこの数を作曲しているのですから、その天才ぶりがうかがえますよね。
早く亡くなっていなければ、もっと多くのアメリカらしいオペラが残されていたのではないでしょうか。
サミュエル・バーバー
サミュエル・バーバーはガーシュインより少し後の1910年アメリカ生まれ。
メトロポリタン歌劇場のこけら落としは、バーバーのオペラが上演されました。
どの国もオペラ劇場のこけら落としというのは、自分の国の作曲家を使いたいものですが、
アメリカのメトロポリタン歌劇場で選ぶとしたら、数少ないオペラ作曲家の中からやはりバーバーになってしまったのかなと思います。
バーバーを一躍有名にしたのは「弦楽のためのアダージョ」という曲です。
思いが徐々にこみ上げてくるかのような、感動的なアダージョで、これを最初に指揮したのは、トスカニーニなんですね。
また、バーバーのアダージョはケネディ大統領の葬儀でも流れて有名になったため、
その後、アメリカでは要人の弔いの際にこの曲を演奏するのが定番になっています。
ケネディ大統領の事件が1963年のことで、こけら落としの少し前に一躍有名になったという背景もあったのかもしれません。
私もサントリーホールで、アメリカのオーケストラを聞きに行った際、
最初にアメリカの高官だったかの死を弔って、バーバーのアダージョを演奏してから始まったことがありました。
誰のためだったかは覚えていないのですが…。
さて、そんなバーバーのオペラの中で比較的有名なのはヴァネッサというオペラです。
これはメノッティの台本で、メノッティはこの後出てきますがオペラ作曲家でもあります。
ヴァネッサというオペラは全4幕で初演はメトロポリタン歌劇場で1958年のこと。
初演でニコライ・ゲッタが恋人役を演じています。
日本でもそのうち上演されるといいですね。
ジャン・カルロ・メノッティ
バーバーのヴァネッサの台本を手掛けたのがメノッティ。
メノッティはバーバーの「アントニーとクレオパトラ」についても台本の修正をしています。
メノッティは、台本作家としても作曲家としても才能があったんですね。
メノッティは、1911年イタリア生まれなのですが、アメリカに渡ってアメリカの音楽院で勉強しています。
バーバーとほぼ同年代の作曲家です。
レナード・バーンスタインも同じ音楽院ですが、年齢はバーンスタインの方が7歳下です。
いかにも現代のオペラ、というような作品で
身近な電話を使ったオペラ「電話」などはおもしろいオペラです。
初期は一幕物のオペラ中心でしたが、その後3幕のオペラも手掛けています。
メノッティの時代になると、アメリカではラジオ向けのオペラや、テレビ向けのオペラもでてきて、
時代の新しさを感じます。
日本では、ラジオ向けのオペラは無かったと思いますが、今後テレビ向けオペラができるかもしれないですね。
個人的には、やはり声は生で聞くのが一番だとは思いますが…。
メノッティは2007年に亡くなっていますから本当に最近の作曲家です。
ただ、アメリカはやはりミュージカルが主流の国かなと思いますね。
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