道化師(パリアッチ)はレオンカヴァッロの作曲です。
1時間ちょっとの短いオペラなので他のオペラと一緒に上演されることが多いです。
カヴァレリア・ルスチかーナと並ぶヴェリズモオペラと呼ばれるオペラの種類でもあります。
そんな道化師というオペラについて簡単あらすじと見どころを書いてみたいと思います。
成立と初演
初演に至るまで
- 作曲:レオンカヴァッロ
- 初演:1892年
- 場所:ダル・ヴェルメ劇場(ミラノ)
- イタリア語
このオペラが作られた当時はイタリアオペラの楽譜出版は、主にリコルディ社が権利をほぼ独占していましたが、
それに対抗して新人発掘のためにソンジョーニ社が行ったのが1幕もののオペラのコンクールでした。
レオンカヴァッロは道化師を作曲してソンジョーニ社のこのコンクールに応募したのですが、
道化師は2幕だったために入賞できませんでした。
しかしながら作品の良さが認められて初演に至ったという経緯があります。
ちなみにこのソンジョーニ社のコンクールで一躍有名になったオペラには
マスカーニ作曲の「カヴァレリア・ルスチカーナ」という一幕もののオペラがあります。
さて、道化師の初演の指揮はトスカニーニで、彼が25歳の時に指揮をしているのも興味深い事です。
道化師は初演以来、瞬く間にヨーロッパ中の言語に訳されて上演されています。
つまりすごい人気になったということです。
爆発的にヒットした背景には、ストーリー性や「衣裳をつけろ」のアリアがあったこともあると思いますが、初演の指揮をしたのが若き天才トスカニーニだったという事も、もしかしたら影響しているかもしれません。
また初演の場所ミラノのダル・ヴェルメ劇場は、現在もある劇場です。
19世紀から20世紀の頃は、主にオペラや演劇を上演する劇場でしたが、
現在はオペラの上演はなく、演劇やコンサートに使われています。
現在は近代的なホールになっていますが、当時のダル・ヴェルメ劇場は、
馬蹄形の3000席もある堂々たる劇場でした。
新国立劇場オペラパレスの座席が約1800、上野の文化会館が約2300であることを思うとすごく大きいわけです。
初演の場所としてはなかなかの場所だったのではないかと思います。
このダル・ヴェルメ劇場では同じくソンジョーニ社のコンクールに応募して入賞できなかったプッチーニの妖精ヴィッリという短いオペラも初演されています。
実はプッチーニの妖精ヴィッリも短いのに2幕ものになっています。
入賞できなかったのは2幕だったせいかどうかは定かではありませんが、二人とも1幕もののコンクールに2幕で提出しているのはちょっと不思議な共通点の気もします。
- レオンカヴァッロの道化師
- マスカーニのカヴァレリア・ルスチカーナ
これらの二つのオペラは、ヴェリズモオペラの二大傑作オペラといわれています。
プッチーニとの関係
さて、作曲者のレオンカヴァッロは1857年のイタリアはナポリ生まれ。
ナポリ音楽院の卒業生です。
ナポリ音楽院は歴史ある音楽学校で、卒業生には、
- パイジェッロ
- ドニゼッティ
- ベッリーニ
- リッカルド・ムーティ(指揮)
- ジョルダーノ
などの有名な作曲家や指揮者を排出しているところなんですね。
また、ナポリ音楽院の前身の一つである、ピエタ・ディ・トゥルキーニ音楽院には
カストラートで有名なあのファリネッリもいました。
音楽の歴史があるだけに、イタリアには古くから多くの音楽学校もあったわけです。
さて、同世代のプッチーニは1858年生まれでレオンカヴァッロの1年後に生まれています。
プッチーニはミラノ音楽院(ジュゼッペ・ヴェルディ音楽院)の出なのですが、二人はほぼ同時代を生き、同じコンクールにも参加していますから、親交もあったようです。
プッチーニのマノンレスコーというオペラは、レオンカヴァッロが台本に協力しています。
レオンカヴァッロという人は文才があり、脚本も自分で書ける人だったということです。
もっともマノンレスコーについては、レオンカヴァッロだけではなく多くの人が関わっていて、
なかなかプッチーニが満足いく台本ができなかったようです。
プッチーニとしては、おそらくレオンカヴァッロの台本は気に入らなかったであろうことは、
ラ・ボエームのオペラ化に目をつけたレオンカヴァッロがプッチーニに対して台本書きを申し出ているのに断っていることからわかります。
「僕がラ・ボエームの台本を書くから、君が作曲したら?」と提案したわけです。
ところが断られたので
仕方なくレオンカヴァッロは自分で曲をつけたのですが、
断ったプッチーニも実は、ラ・ボエームに魅力を感じていたようで、
レオンカヴァッロより先に同じタイトルでラ・ボエームを初演してしまいました。
このことに対して、レオンカヴァッロはかなり怒り心頭だったと言いますがまあ当然ですよね。
でも、そもそもプッチーニに曲を勧めていたことを考えると、自分よりプッチーニの才能を感じていたのかなと、思ってしまいます。
事実その後プッチーニの作品は多く世に残りましたが、レオンカヴァッロは道化師以外はほとんど埋もれてしまっているんですね。
とはいえプッチーニという人もなかなか勝手で、傲慢なところがあったのかもしれないと
いろんな人を怒らせているのを見て人となりを想像しています。
でもオペラは素晴らしいんですよねえ。
上演時間とあらすじ
上演時間
- 第一幕:45分
- 第二幕:25分
合計で70分です。
同じくソンジョーニ社のコンクールで有名になったカヴァレリア・ルスチカーナは1幕で70分なので
正味の時間は同じだったんですね。
レオンカヴァッロは道化師を1幕もののオペラにする事もできたのに、しなかったのはどうしてなのかと考えてしまいます。
確かに1幕のゴタゴタと2幕の芝居のシーンは、時間の経過と場面の変化があるとはいえ、
間には間奏曲も入ります。
今となってはレオンカヴァッロの真意はわかりません。
あらすじ
劇中劇になっています。
舞台はイタリアのある村の、旅芝居の一座の一日の事件。
座長のカニオには若い妻ネッダがいますが、ネッダは村のシルヴィオと浮気をしています。
それを知ったカニオは怒り悶えるのですが、その日の芝居の開始時間が迫るので仕方なく用意をします。
憤りを抑えきれないまま舞台が始まると、芝居の内容は現実とよく似た浮気の話。
カニオは次第に現実と芝居の区別がつかなくなるのですが、観客はそれを迫真の演技だと勘違いします。
ついに芝居中にカニオは妻を刺し殺してしまい、驚いて駆け寄った愛人シルヴィオまでも殺してしまう。
という悲しく緊迫のあらすじ。
見どころ
このオペラはピエロという道化の話にもかかわらず、ストーリーは重く、
息を飲むようなオペラになっています。
登場人物は5人ですが特にネッダとカニオは芝居と現実が交錯するなかの劇中劇という
難しい役どころです。
歌唱力もさることながら演技のうまさも、このオペラの大きな魅力であることは間違いないと思います。
またこのオペラで意外に重要なのは、トニオという性格の悪い一座の男で、
彼がチョロチョロと余計なことをするのと、プロローグ的に語るというちょっと不気味な存在です。
見どころは何と言っても
- アリア「衣装をつけろ」
のところで、これほど劇的なアリアはないのではないかと思う、鳥肌が立つような名曲です。
かつてイタリアオペラ公演が日本において行われた際に、マリオ・デル・モナコという名歌手がこのアリアを歌ったあと、
おとなしい日本人観客が総立ちになり、われ先にと舞台にかけよったといいますからどれほどすごかったのかと思います。
ちなみに私もかつて舞台に駆け寄りたくなったことがなんどもありましたから、その気持ちはわかりますが‥。
マリオ・デル・モナコという人は1915年の生まれ、
その頃になると良い録音も多数あるので彼の歌声を聞くことはできます。
彼の声はパバロッティのような明るくスコーンと突き抜けるテノールでもなく
ドミンゴのような情熱的なテノールともまた異なり、その艶のある声はちょっと聞いただけで、
「あ、違う‥」とその素晴らしさがわかる気がしました。
黄金のトランペットと言われたのも頷けます。
マリオ・デル・モナコというテノール歌手は極度の緊張屋だったと言われていて、
毎回オペラの前は、悲壮なまでの緊張だったそうです。
現在の芸能界でも緊張する歌手の方が人気が出ると言われますが、オペラの世界でも同じだったのかもしれません。
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