ロッシーニ最後のオペラ「ウィリアム・テル」は豪華なグランドオペラ

ロッシーニという作曲家は37歳という普通なら油の乗るはずの時期に急にオペラを作らなくなったのですが、

それでも活動期間中の作品数はかなり多くて、

つまり短い間にもとてもたくさんのオペラを作曲した人です。

しかも現代まで残っている作品が多く、生きているときから巨匠で、ワーグナーがあんな風になりたいと思ったとか。

そんなロッシーニが最後に作ったオペラが「ウィリアム・テル」です。

このオペラはグランドオペラなんですよね。

グランドオペラはオペラのバブル時代?

オペラの事をいろいろ見るにつけ、パリのグランドオペラの時代に

なんとも言えない興味と魅力を覚えるのは私だけでしょうか。

オペラといえばイタリアやドイツ圏が主流だった頃に、突如(は言い過ぎですが)としてフランスにグランドオペラ時代っていうのが現れる感じなんですよね。

主に19世紀前半のことです。

フランスのグランドオペラっていう時代はとても異質で不思議。

当時の有名な作曲家達がこの時期、フランスに集まってくるんですよね。

ロっシーニもその一人。当時超有名だったロッシーニがパリへ行き、

追いかけるようにドニゼッティもパリに行き、

あのワーグナーもそしてヴェルディもパリに行っているんですよね。

年にすると1820年代〜1860年代あたり。

しかもこれらの巨匠達は、フランスのためにオペラをフランス語に直したり、

元々入っていなかったバレエを挿入したり、

3幕を5幕に伸ばしたりしているんですよね。

フランスのグランドオペラは一言で言うと華やかというか派手なオペラ。

作曲家への報酬もそれなりに高かったのだとか。

そして19世紀後半になるとグランドオペラは廃れていくんですよね。

そういう流れを見ているとまるでグランドオペラってフランスで起きたオペラのバブル時代だったの?って思っちゃうのです。

ロッシーニはそんなパリに行って、自身の最後のオペラをパリオペラ座のために作っています。

どんな流れでグランドオペラを作るに至ったのかとか、そういうのがすごく気になるんですよね。

 

パリでウィリアム・テルを作るまで

 

ロッシーニって1824年、32歳の時イタリアからパリに拠点を移しています。

もちろんパリからオファーがあったわけで、それだけ条件とかいろいろ良かったんでしょうね。

今まで私は、ロッシーニっていう人は、初期はオペラブッファをたくさん作曲していて

そのあとはオペラセリアを多く作り、

最後にパリでグランドオペラを作った

というように大まかにとらえていました。

この大まかな流れは多分間違ってはいないと思うんですが、

パリの時代については、ウィリアム・テルがすごく有名なので、

パリに行って当時流行のグランドオペラ形式でウィリアム・テルを作曲したんだな、

とだけ考えていたんですよね。

でもよくよく見るとパリに行って作ったのはウィリアム・テルだけじゃなくて他もあるんですよね。

じゃあそれらはどんな作品だったのだろうって思いませんか。

でもって見てみると、

パリに行って最初に作ったのが「ランスへの旅」(1825年)

これはシャルル10世の戴冠に合わせて作ったセレモニー用のオペラです。

こちらはパリオペラ座ではなくパリのイタリア劇場。

そして翌年の1826年からロッシーニは4年連続でパリオペラ座でオペラを発表しています。

  • 1826年 コリントの包囲
  • 1827年 モーゼとファラオ
  • 1828年 オリイ伯爵
  • 1829年 ウィリアム・テル

 

で、おもしろいなと思うのは、パリでの作品が徐々にグランドオペラの完成系になっていく様子なのです。

実は、コリントの包囲っていうオペラは1820年、つまりコリントより6年前にナポリのサンカルロ劇場で発表した「マオメット2世」っていうオペラの改編なんですよね。

簡単に言うと、前に作ったオペラを作り直したということです。

マオメット2世をイタリア語→フランス語にして、バレエを挿入して、2幕→3幕に拡大

ちなみにこの時代は前に作曲した曲を別のオペラでも使うっていうのはしばしば当たり前にやっていたみたいなんですよね。(今の時代だとそういうことは普通やりませんが)

 

そして次の「モーゼとファラオ」ですが、やはりこれも1818年にロッシーニがナポリのサンカルロ劇場で発表した「エジプトのモーゼ」というオペラの改編なのです。

こちらも前の作品を作り直したということですね。

エジプトのモーゼは3幕だったのを→4幕へ。そしてフランス語にして3幕にはバレエが付け加えられたのです。

海が割れて兵士が海を渡るという「十戒」という映画を見たことがあるでしょうか。

エジプトのモーゼのラストはあの場面です。

当時のオペラ座でどんな風に演出したのかすごく興味がありますが、

いずれにしてもラストのスペクタクルな感じなどからグランドオペラになってきているのがわかる気がします。

 

そして1828年にオリイ伯爵を発表。これはパリに行って最初の仕事だった「ランスへの旅」からの引用。

ただし、もともと1幕のオペラなのでこれは→2幕物へ。

 

そして1829年、満を持してという感じで、転用ではないオリジナルのグランドオペラウィリアム・テル」を発表しているんですよね。

そしてロッシーニはウィリアム・テルを作曲するのにかなりの時間をかけています。

 

この変遷ってなるほどねえって思っちゃうんですよね。

イタリアでオペラを作ってきたロッシーニがフランス風のグランドオペラを作るっていうのは

やはりいきなり作るのは難しかったんだろうかとか。

なんとなく今見ると、最初は過去の作品で慣らしてから本格的に取り組んだように見えるんですよね。

そしてウィリアム・テルを作ったらオペラから引退‥。

グランドオペラって広い劇場で歌手は大声を出さなきゃいけないというのが

ロッシーニは本当はあまり好きではなかったようで‥

グランドオペラの作曲は疲れちゃったんですかね。

これは単なる想像です。

 

ちなみに「マオメット2世」とか「エジプトのモーゼ」っていうオペラは海外では結構上演されているらしいんですよね。

おそらく日本ではまだやったことがないのでは?と思います。

そういうオペラがまだまだたくさんあるんですよね、実は。

だから見たことがないオペラを少しでも見たい、と思っちゃいます。

 

パリオペラ座といってもガルニエではない

パリオペラ座って今もちゃんとあって、設計者の名前からガルニエ宮とも呼ばれています。

ガルニエ宮はそれはそれは豪華絢爛な劇場なんですね。

グランドオペラっていうと豪華なイメージなので、あのガルニエでかつてグランドオペラをやっていたんだなと、ずっと思っていたんですが、

実際はガルニエ宮ができたのは1875年のこと。

つまりロッシーニの「ウィリアム・テル」とか

マイアベーアの「悪魔のロベール」や「ユグノー教徒」といったグランドオペラ代表!っていう作品が上演されていたのは実はガルニエじゃなかったんですよね、ガクッ!

これらは皆ガルニエができる前の作品ですから。

そのころは今のパリオペラ座の前身の劇場で、サール・ル・ペルティエと呼ばれたりしています。

この劇場は1873年に火事で無くなってしまってそのあとできたのが現在あるガルニエ宮なんですよね。

ヴェルディの作品の中で、グランドオペラといえばドン・カルロが浮かびますがこれも1867年パリオペラ座初演となっているけど、やはり今はないサール・ル・ペルティエだったんですね。

絵で見る限りこちらもかなりの豪華さですが、

劇場って結構焼失したり、建て替えられたりしているんですよね。

結構多いのが火事。今とは材質も違うでしょうし。防火とかないし当然か‥。

 

ウィリアム・テル簡単あらすじ

 

最後になってしまいましたが、ウィリアム・テルの簡単あらすじをさらりと。

原作は第九で有名なシラーの戯曲で、そのもっと元になっているのはスイスに伝えられる弓の名手の伝承です。

場所は13世紀のスイス、のアルトドルフというところ。

オーストリアの圧制に苦しむ町の人たち。

町の娘を誘拐するし、長老は悪代官ゲッスレルに殺されてしまいます。

スイスの独立を誓うウィリアム・テル達。

ゲッスレルは広場のポールに掲げた自分の帽子に必ず頭を下げなければいけないというのですが、

テルがそれをやらなかったため捕らえられます。

ゲッスレルは、テルの息子の頭に乗せたりんごを弓で射止めるように言います。

矢は見事にりんごを射抜くのですが、もう一本矢を持っていたことがばれて(もう一本は失敗した時にゲッスレルを殺すため)再び捕らえられそうに。

そこを敵の女王マティルデが救いにきてテルの息子は助かり

テルは捕まるのですが、人々が武器を持って奮起し、自由を勝ち取るというストーリー。

 

スイスの独立の物語なので、スイスではとても人気があるオペラだそうです。

あと、オペラにルツェルンという湖が出てくるんですが、

ルツェルンといえば、有名な国際音楽祭が毎年開催される場所だなあって思いますね。

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