ミラノのスカラ座が初演のオペラってどんなものがあるの

オペラを見るとき、私の場合はどこの劇場で初演したのかというのが結構気になるところなのですが、

皆さんはどうなんでしょうね。

例えばイタリア・ミラノのスカラ座といえば、今や世界の有名オペラハウスの一つだと思います。

ところが、その割にはオペラの初演場所で見るとスカラ座がダントツに多いわけでもないし、

イタリアオペラ会の巨匠であるロッシーニやヴェルディについて見ても、スカラ座の初演が必ずしも多いわけでもないんですよね。

それならなぜ今こんなにスカラ座って有名なの?と思ってしまったわけです。

演目のスケジュールとスカラ座前

スカラ座初演のオペラ

オペラって過去にたくさん作られてきたはずなのですが

現在まで上演され続けている演目っていうのはその中の一部で忘れられちゃっているものもかなりあるんですよね。

なので、今も残っているオペラの情報から推測するしかないんですけど、それを見る限りスカラ座初演のオペラってすごく多いわけではないんですよね。

私はオペラを見始めた頃は、オペラといえばスカラ座イタリアといえばスカラ座だと思っていて

とにかくスカラ座が一番古くてすごい劇場だと頭から思い込んでいたわけです。

なんならイタリアのオペラは全部スカラ座で上演されているんじゃないか、くらいに思っていた頃もありました。

最近になって初演場所をいろいろ見ていると、スカラ座って意外に少ない?と思ったんですよね。

特にもっともイタリアらしいともいえるヴェルディとかドニゼッティ、ロッシーニが活躍した19世紀を見ると

ミラノのスカラ座ではどんなオペラが初演されているかというと、有名なところでは

など。

率直な感想はスカラ座の上演少なくない?ということだったんですよね。

ロッシーニについて見ると、多いのはヴェネチアとナポリ、それにパリなんですよね。

ドニゼッティはそれなりにスカラ座初演の演目があるのですが、あまり有名ではなくて

それにロッシーニ同様ヴェネチアとナポリそれにパリでの初演が多いんですよね。

ヴェルディに至ってはさぞかし多いのかと思いきや1843年の「イ・ロンバルディ」以後40年以上の空白があってオテロでスカラ座に戻ってきているという感じなんですよね。

いろいろ見てるとちょいちょい出てくるヴェネチアのフェニーチェナポリのサン・カルロ、もしやそっちの方が有名だったのかなと自然に思えてきたわけです。

確かにバロックオペラの黄金時代はナポリが音楽の頂点の地だったとも言われるくらいだったのですが、それは18世紀のことかと思っていました。

19世紀もまだまだやはりナポリはオペラが盛んだったみたいです。

スカラ座っていつからあるの

ではそもそもスカラ座っていつからあって、なぜ今こんなに有名なんだろうと。

そもそもスカラ座の前身というのはテアトロ・レッジョ・ドゥカーレ(王室大公宮廷劇場)という劇場でした。

ドゥカーレというのは公爵のとか公的なっていう意味ですから、今でいう王立劇場とか国立劇場っていうような劇場だったのだと思います。

これが18世紀の後半に火事で焼けてしまうんですよね。

古い劇場ってしばしば火事に見舞われてしまいます。

今みたいに防火の建物とか消防車が無い時代って、やっぱり火事は大敵なのだと思ってしまいます。

このテアトロ・レッジョ・ドゥカーレ(王室大公宮廷劇場)ではモーツァルトがいくつかオペラを初演しているんですよね。

  • ミトリダーテ・ポントの王(1770年初演)
  • アルバのアスカーニオ(1771年初演)

あまり上演されないオペラです。

というのもモーツァルトが若干14歳と15歳のときのオペラなんですよね。さすがに若すぎる作品かな。

これらのオペラはどうもお祝いで作ったもののようで、

つまりテアトロ・レッジョ・ドゥカーレという劇場は名前の通り公的な劇場で、結婚とか戴冠というようなお祝い的な催しの為の劇場という意味合いが強かったようなんですよね。

昔はみんなそうだったのかもしれません。

当時のミラノのあたりはオーストリアのハプスブルク家の支配下にあった頃だと思います。

このテアトロ・レッジョ・ドゥカーレが焼失して、代わりに

当時のスカラ教会の跡地に作られたのがスカラ座となったんですね。

スカラは女性の名前でこけら落としは1778年のこと。

スカラ座がよくマリア・テレジアが建てたと言われるのは、当時のミラノを統治していたのがマリア・テレジアだったからというわけです。

スカラ座の建築には巨額な費用がかかっていて、それに関わった一族はおそらく現在までも主要な座席を締めているというのは本当なのかわかりません。

もしそうだとしたら200年以上もその権利が続いていることになりますが‥。

さて、ヴェネチアのフェニーチェ歌劇場もだいたい似たような時代にできているのですが、そこはさすがというか

オペラの歴史においては実はミラノよりもナポリが古く、さらにナポリよりヴェネチアの方が歴史が古いんですよね。

というわけで当時のスカラ座はオペラ劇場としてはまだそんなに重鎮ではなかったんだと思うんですよね、

まだ今のような位置には君臨していなかったんだろうなと想像できるわけです。

とはいえ、スカラ座も19世紀になって上にあげたようにドニゼッティとかロッシーニとか当時の有名作曲家の作品をどんどん上演するようになって地位を獲得していったようなんですね。

そこにはナポリのサン・カルロ劇場の敏腕マネージャー・バルバイアが来たことももちろん手伝ったと思います。

さて、ドニゼッティについてはそれなりにスカラ座での初演作品があるんですけど、残念ながら今に残る中ですごく有名なものが少なく、

例えばランメルモールのルチアはナポリのサン・カルロ劇場だし連帯の娘はパリでの初演。

ロッシーニもドニゼッティもイタリアからパリに拠点を移してしまったということもあるでしょうね。

さらにヴェルディに至ってはスカラ座とはうまくいっていない時期が長くあって空白の約40年があるんですよね。

19世紀はヴェネチア、ナポリを中心にミラノそれにパリなども加わって、ヨーロッパ各地でイタリアの有名作曲家たちのオペラが初演されていたということのようです。

ただ本当に今のようにスカラ座が有名になるのはもう少し後なのかなと思うんですよね。

ショップで売ってるトートバッグ

20世紀のスカラ座

スカラ座とヴェルディは何かとつながりが強いイメージがあるのですが、

オペラの初演についてだけ見ると、スカラ座だけが多いわけではなくて、上にも書いたようにスカラ座とは約40年の空白期間もあるんですよね。

むしろ今のスカラ座のイメージっていうのは20世紀以降にできたんじゃないかなと思うんですよね。

その重要な人物の一人がトスカニーニという人。有名ですよね。

トスカニーニはイタリアに限らずいろんな国のオペラをイタリアで初演しているんですよね。

チャイコフスキーのオペラだったり、リヒャルト・シュトラウスのオペラだったり、ワーグナーやフランスのドビュッシーなど。

そして上演の質もすごく上がったんじゃないかと思うのです。

そのカリスマ的な存在は、アメリカのメトロポリタン歌劇場まで出向いてしばし監督を引き受けていることからもうかがえます。

プッチーニの西部の娘はメトロポリタン歌劇場の初演なんですよね。それもトスカニーニの頃です。そして

を成功させていたりと。

その後のスカラ座は名実ともに世界最高のオペラハウスになって、最近ではアバドやムーティ、バレンボイムなどが引き継いでいる感があります。

つまりスカラ座ってバロックの頃からずっと有名だったわけではなくて、19世紀はイタリアのいくつかある有名なオペラ劇場の一つ、そして20世紀に群を抜いて世界のオペラ座になったんじゃないかなと

そんな風に思ったわけです。

ちょっと荒っぽい考えかなとも思いますが、いずれにしてもスカラ座ってやっぱりいいですよね。

最後にスカラ座はいっときミラノの賭博場を兼ねていたことがあったとか。その利益は劇場の運営を助けたらしいんですよね。

日本もカジノ法案が出て賛否両論ですけど、あのスカラ座もカジノだったのかあとちょっと思ってしまいました。

 

ミラノのドゥオーモ

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