イタリアは、オペラ発祥の国だけあって多くの歌劇場があります。
世界で見ると、歌劇場が多いのはイタリアとアメリカではないでしょうか。
今回はそんな中から、イタリアの中でもヴェネチアの歌劇場についてです。
ヴェネチアとオペラ
海外の有名歌劇場
オペラを見るようになると、徐々に海外の有名歌劇場が気になってくると思います。
色々見たり調べたりしていると、必ず歌劇場の写真がでてくるのですが、その写真の豪華さは日本の劇場には無いもので、余計にあこがれを感じてしまうんですね。
有名な歌劇場としては、
- オーストリアのウィーン国立歌劇場
- イギリスのコヴェントガーデン
- フランスのパリオペラ座
- ドイツのバイエルン国立歌劇場
- ドイツのバイロイト歌劇場
- イタリアのミラノスカラ座
- アメリカのメトロポリタン歌劇場
などなどきりがありません。
そして、イタリアの歌劇場ならスカラ座が一番となぜか長い間思ってしまっていました。
ずっと昔からオペラと言えば、ミラノスカラ座に限る、スカラ座に行きたいと思っていたんですよね。
今思えば、他にもいっぱいあったのにと思うのですが。
そもそもオペラはミラノから始まったわけではないんですね。
オペラの歴史とヴェネチア
とっても大まかに言うと、オペラらしいものがはじまるまでにあったのは、ルネッサンス期の音楽です。
ルネッサンスは14世紀から16世紀前半頃まで。
16世紀後半にフィレンツェからオペラの原型が生まれ始めて、
17世紀はヴェネチアを中心としてオペラは各地で発達、
18世紀になると今度はナポリを中心にして、バロックオペラが盛んになります。
そして18世紀後半にできたのが、ミラノスカラ座です。
スカラ座は、オペラの歴史としてはすごく古いというわけではないわけです。
上にあげた主要都市に、歌劇場があるのはもちろんのこと、
イタリアには、これらの都市以外にも多くの歌劇場があります。
今思えばなぜ最初に行きたい歌劇場として、浮かばなかったのかなと思う劇場の一つが
ヴェネチアの歌劇場です。
ヴェネチアは古くからオペラが栄えていた都市だったのです。
ヴェネチアにある有名な歌劇場はフェニーチェ歌劇場です。
フェニーチェ歌劇場ができたのは、スカラ座より少し後なのですが、
フェニーチェは、古くからオペラが栄えていたヴェネチアの歴史を引き継ぐ形でできた歌劇場なのです。
そういう意味では、スカラ座以上に歴史を感じる歌劇場かもしれません。
貿易都市ヴェネチア
ヴェネチアは古くから貿易都市で栄えた港町であると同時に長らく、共和制の下、自治国として繁栄していた地域です。
現在、上演されるオペラで最も古いものの中に、モンテヴェルディという人のオペラがあるのですが、
モンテヴェルディは、そんなヴェネチアの音楽を発達、支えてきた一人でした。
巨大なサン・カルロ寺院の楽長でもあったモンテヴェルディがいたヴェネチア。
そのヴェネチアにある歌劇場がフェニーチェ歌劇場です。
ヴェネチアには、17世紀ころから多くの歌劇場がありました。
フェニーチェ歌劇場は、それらの歌劇場を引き継ぐ形で不死鳥として設立されたと言われています。
ヴェネチアの人々の期待は、並々ならぬものがあったのではないでしょうか。
フェニーチェは、フェニックスつまり不死鳥という意味があるのです。
では17世紀という古い時代に、なぜヴェネチアで多くの歌劇場ができて、オペラが繁栄していたのでしょうか。
一つには、古くから共和制を敷いていたヴェネチアでは、いち早く一般の人々もオペラを見ることができるようにしたということがあります。
お金さえ出せば誰でもチケットを買えるということです。
これは、現在では当たり前のことなのですが、
音楽は、もともと王宮で催されたり貴族が自分の邸宅で楽しんだりするためのものであって、
一般庶民が見るようなものではなかったのです。
日本においても、織田信長が能を鑑賞することがあっても、それを一般庶民が一緒に見ていなかったのと同じような感覚ではないでしょうか。
ところがヴェネチアでは、貴族が劇場を作って運営を業者にまかせて、
お金さえ出せば誰でも見ることができるようにしたんですね。
すると、チケットはたちまち売り切れて行ったわけです。
そうなると、我も我もと劇場を作り始めたというわけなのです。
芸術といえども経済が絡むわけですから、そこに利益が生まれるということから広がっていったというのはとても納得が行く話です。
貿易都市ヴェネチアは、商売の目線が長けた人が多くいたのかもしれません。
フェニーチェ歌劇場
こけら落としの歌手
さて、17世紀から多く登場した歌劇場を引き継ぐ形で、フェニーチェ歌劇場が設立されたのは1792年です。
その際の杮落としの演目は、パイジェッロの「I Giuochi d’Agrigento」というオペラ。
このオペラには、当時ヴェネチアのほかナポリの有名なサン・カルロ歌劇場など、様々な場所で活躍していたカストラートも出演しています。
彼の名前は、ガスパーレ・パチェリオッティ。
パチェリオッティは、メゾソプラノカストラートだったようですが、その声は最高の甘さを持ち、表現力と哀愁がある歌手だったと言われています。
ミラノスカラ座ができたのは、フェニーチェ歌劇場より少し前の1778年なのですが、
実はパチェリオッティはその杮落としにも出演しているのです。
いかに著名で、人気のあるカストラート歌手であったかが伺えますよね。
その時のスカラ座の演目は、「L’Europa Riconosciuta」、作曲はサリエリです。
どちらのオペラもおそらく、日本では、上演されていませんが、
世界に名高い二つの歌劇場の杮落としで、主役を演じたカストラートが同じ人物だったことは
すごく興味深く、そしてやはりいったいどんな声だったのか、どんな演技だったのかと想像が膨らんでしまいます。
運河から正面玄関へ
フェニーチェ歌劇場の特徴はなんといっても、正面玄関は運河から入るということでしょう。
水の都ヴェネチアでは、今もヴァポレットと言われる船が主な交通手段になっていますよね。
形は昔とは違うとはいえ、運河をゴンドラに乗ってフェニーチェ歌劇場に向かい、貴族たちが次々着岸していたであろう様子は、
なんとも優雅としか言えないような気がします。
ゴンドラというのは細長い舟のことです。
オッフェンバックのオペラ、ホフマン物語の舟歌が、なんとなく浮かんでしまいます。
フェニーチェ歌劇場には、運河とは反対側にも入り口がありますが、運河側がメインなので
こちらはちょっとしょぼい感じです。
これが歌劇場の入り口?と思うような雰囲気で、それもフェニーチェ歌劇場の面白いところではないでしょうか。
フェニーチェ歌劇場が初演のオペラ
最後に、フェニーチェ歌劇場が初演のオペラで、有名なものをあげておきます。
- ロッシーニのタンクレーディ
- ベッリーニのカプレーティとモンテッキ
- ヴェルディのエルナーニ
- ヴェルディのアッティラ
- ヴェルディのリゴレット
- ヴェルディの椿姫
- ヴェルディのシモン・ボッカネグラ
- プッチーニのラ・ボエーム
など。
フェニーチェに行かれる場合は、こんなオペラが初演でお披露目されたんだなと、思い出してみるのもおもしろいのではないでしょうか。
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